四話 ―2
「徳川忠長」は家康没後、駿府城主として任についたが寛永八(1631)年に乱心。
兄の家光により解任。上野の国、高崎城に転移を命じられたのちに自刃したという。
旅宿に貼ってあった手配書を破り捨てている桃太郎に松金さんが説明したことである。
流石は城下での出来事。手回しが早い。
駿府城の外堀で、現場をあとにする際松金さんは倒れた武士の手元に「忠長」と記して来たのだという。
つまり、桃太郎との一件は「忠長」の怨霊や祟りの仕業と扱われ、幕府は天下泰平の世にこのような騒ぎは望まないだろうから、手配もすぐに取り消されるだろう、と。
「だと、いいのでありんすけど……」
大井川越えは明日に回すことにした。
日が暮れてもなお歩き、島田宿付近で適当にとった宿の部屋にて、桃太郎は松金さんに溜息交じりの頷きを返した。
もちろん猿は宿泊できないので、通りに面した二階の窓を開け、障子を挟んでの会話である。
駿河は家康が没する元和二年まで、江戸に並ぶ政治の中心地として栄えた国であり、東海道でも宿場ごとの感覚が狭く、治安も悪くない。
日が落ちてもここまで歩いてこれたのはそのためだ。
今の桃太郎は小袖に帯をお太鼓結びにした典型的な江戸町民の格好であった。
出来れば髪も島田に結い上げたいところだが、ひとりでは整えること敵わず、時刻も遅く髪結を頼むのも憚られたので、丁寧に梳り、髻をうなじに、桃の鉢巻で結んで少し古風な下げ髪とした。
絹月の形見である鼈甲の簪を添えれば、わりかし様になったものだ。
前髪を右半分に流し、まぶたの腫れを隠すことにする。
陣羽織や袴は畳んで荷物としてまとめた。『色斬』は仕方がないので、さらし(このさらしは元『色斬』を巻いてあった長布であり、あの時拭き取った絹月の血も乾き、くすんでいる)に巻き、両手で抱きかかえるようにして運ぶ。
こうしてみると惣吉が危惧していたとおり、女伊達らに刀を運ぶことの滑稽さが身に沁みてわかった。
宿を頼んだ瞬間の、主人の訝しげな視線が忘れられない。
これまでの宿も、通りに面した二階、という場合が多かったながら、今回は敢えてこの部屋にしてもらった。
それは運よくおこまが下を通りがかったら、こちらから声を掛けられるようにするためだ。
「それにしても、松金さんは外からいらっしゃったのに、よくそんなことまで知ってありんしたなぁ?」
「偶然だ。長い船旅で、人間達がいろいろと話をしていたからな、それを憶えていただけだ。そんなことより――」
「変わりんせんよ」
松金さんの言いたいことを察し、桃太郎はちいさく首を横にふる。
「わたしは『色斬』を保土ヶ谷誠次郎様へお届けするために旅をして参りんした。その保土ヶ谷様が、松金さんのいうように鬼となっているなら、わたしは『色斬』にて鬼を祓いてのち、太刀をお渡し致します。それは変わりんせん」
「そうか。だが、その太刀がお前に与えている影響を想うと――いや、もうなにも言うまい」
桃太郎の衷心は曲がらない。竹林にて桃太郎の旅の目的を聞き、仁恕を壊すること幾度目か。
最後は「一度鬼となった人間など碌なものではない」とまで言った松金さんもそのことがよく分かったようで、これ以上言葉を続ける気もなく、くるりと背を向けた。
「あっ。またどこかへ行かれるのでありんすか?」
「そういうことはない。少し辺りを散策してくる。犬の陰陽師がいたら声くらいは掛けてやる。
あと、今夜は休む前に目、よく冷やしておけ。明日は仮にも武家屋敷を訪ねるのであろう」
「松金さん。もしも人間だったら、吉原じゃもてもてだったよ。ありがと」
桃太郎は松金さんが屋根へ消えても窓から顔を覗かせてていた。
が、ややあって思い直し、障子を閉めた。
なにはなくとも明日、絹月の名代を全うする。
おこまと合流するのはそのあとでも構わないではないか。桃太郎の立場は昨日までとは違うのだ。
今夜は成る丈おとなしく過ごし、そして明日。
そのあとは、まぁどーとでも成れである。
窓枠に掛けてあった左手で、右のまぶたに触れる。
右手は、彦九郎の小刀で負った傷に包帯が巻かれているからだ。
日に日に傷ばかりが増えてゆく。
歳若い乙女がこんなことでは、おこまじゃなくても怒りたくなるというものだ。
「本当に……こんな傷だらけの格好で会いにゆこうとは思いも依らせんした……冷っこーい!」
その日、桃太郎は軒下の沫雪を布でくるみ、まぶたに当てて眠った。
手配中の身であっても、なかなかどうしてぐっすり寝入ることができたのだった。
――――――――――
翌朝、日が昇る辰の刻。旅宿をはらった桃太郎は早速大井川へと向かった。
外へ出たところで「松金さん?」と声を掛けてみるも、気の利いた金糸猴の姿はどこにもなかった。
少し寂しくもあったがもともと神出鬼没なお猿さんだったので、旅路を優先することにする。
まぶたの腫れは、治まった代わりに酷く青々としてしまった。前髪は欠かせない。
大井川は、広い所では川幅だけで三町(約330メートル)はある大河である。
それでも冬の時期は水嵩が少ないとの返事に、桃太郎は輦台渡しで川を渡ることにした。
輦台という四方向に取っ手がついた板を男衆が担ぎ、その上に客を乗せて渡る方法で、人手が掛かるため料金が高く、あまり人気のある渡り方ではない。
水嵩が少ないときなどは、徒渡り(徒歩で渡る)が主流であったようだ。
ちなみに大井川では渡し舟が禁止されている。
更に橋までがないのは、体面上駿府、江戸方面の防衛のためということになっているが、ひとたび川留ともなれば両側の宿場町に人が溢れてお金を落としていったため、地元経済優先だったという見方も否定できそうにない。
遠江の国に入り最初の宿場町金谷宿で聞き込みをすること二軒目の茶屋にて、保土ヶ谷という武家屋敷が、ここから宿場を三つ越えた先、見附宿にあることが分かった。
宿場を三つとはいえそれぞれの間隔は一里ちょっとしか離れていないので、昼過ぎには到着できるだろう、とのこと。
桃太郎は言われるがまま、東海道を進むことにする。
何事もなく、おこま、松金さんのどちらとも再会することなく、桃太郎は見附宿、そして保土ヶ谷誠次郎の屋敷へと辿り着くことができた。
やはり、わたしひとりで旅をすれば、もっと楽な道のりだったのではあらせんか……
複雑な気分であった。
桃太郎はここまで、団子を四皿空けている。手にした串の最後一粒を噛みしだき、門の前に立つ。
昨日まで晴天続きだったのが一転。少し雲が多くなり、薄暗い天気となってきたのが、どうしても不安を煽ってくるのである。
「あの、もし。お頼申しますっ」
声をかけた。
かけてしまった。誰が出てくる? 松金さんのいうように、保土ヶ谷誠次郎が鬼となっていたら、誰も出てこないかもしれない。
それでも誰か出てきたら、それは誰だろう。もしくは、鬼となった保土ヶ谷誠次郎が直接現われるかもしれないのだ。
『色斬』の束縛くらいは解いておいた方がよかっただろうか。
それよりおこまも松金さんもいないで、ひとりで鬼を退治することなどできるだろうか。
というよりも、松金さんが聞いた保土ヶ谷誠次郎という鬼と、ここに居る保土ヶ谷誠次郎が同一人物ではない可能性だってあるのだ。そうしたらそうしたで――
お、落ち着きなんし! 桃太郎っ!
「は――そうでありんした。わたしはお姉さんと一緒にありんした」
今の声。桃太郎の心の声、それとも?
桃太郎は『保土ヶ谷』と掲げられた立派な表札から門の奥、書院造りの屋敷へと視線を滑らせ、敢然と睨み据えた。
握る『色斬』に力を込める。
ためらわず、空も、時も越えてゆける。なにも、恐れることはない。
「はい。ただいま――」
対応に現われたのはまだ幼さの残る小姓であった。年齢は、彦九郎と同じくらいかそれより若いか。
出自は判然としないながら、待遇はよくしてもらっているのだろう。気苦労が、それほど顔に出ていない。
「これは、お嬢さん。なにか御用でございましょうか?」
カチンときた。
明良かに胡乱がっている。そもそもお嬢さん、などと年下に言われる筋合いはない。
完全に町人だと嘗めてくる態度に前髪の裏でこめかみを跳ね上げつつも、桃太郎は笑顔を絶やすことなく手短に用件を告げた。
「ご主君の誠次郎様へ、江戸より絹月のつかいの者が参ったと、お伝え願えますか?」
「江戸より……は、はい。少々お待ちください」
桃太郎は小姓が玄関に消えるのを確認後、べーっと舌を出してやった。
とはいえ、あんな小姓が奉公にいるということは、やはり松金さんが聞いた『保土ヶ谷誠次郎』とは別の人間であったようだ。
桃太郎が軽く息を抜き、待っていると、さっきの小姓がまた駆けて来た。
「旦那様がお会いになるそうです。どうぞこちらへ」
あどけない思草で桃太郎を敷地内へと促し、一足先に玄関をあけて待っている。
桃太郎はもう少し余計な詮索をされるのではと予想していたので、肩透かしを喰らったような気分から門をくぐり、玄関へと向かった。
保土ヶ谷誠次郎=鬼。という心配が杞憂に終わった所為もあり、二重の肩透かしである。
「奥の座敷でお会いするそうです。こちらへどうぞ」
思草はあどけないながら仕事は淡々とこなす。桃太郎が草鞋の紐をほどいていると、その傷み具合を見たのか「長旅でございましたでしょう。ご苦労様でございます」などと小姓は気遣いを口にしてくれた。
武家屋敷など初めて訪れた桃太郎でも、その余裕のある暮らしぶりは想像がついた。
艶の出された廊下を進み、縁側から奥座敷へ案内されるまでに、通り過ぎた部屋は三つか四つか。
そこに小間使いや人夫がいるわけではなく、畳の青が勿体無くさえおもえた。
広さは『灸なり』には敵わないだろうが妓楼にはいつも人が犇めき合っていたし、惣吉の『志村屋』も店構えは広くても、店舗と同一であり物があふれ、開放感はなかった。
それに引き換えこの屋敷は『保土ヶ谷』の人間と何人かの小姓だけで使えるのだから、衰退したとはいえ、武家の威光を見せつけてくれる。
「旦那様。お客人をお連れ致しました」
襖の前、膝をついて低頭し、主人へと声をかける小姓。
中から「入ってもらいなさい。お前は下がっていいよ」との返事がある。
小姓は襖を引き開け桃太郎を中へ招き入れ、自分は襖を閉めて廊下を去っていった。
「やあ。よくきたね。絹月の使いと聞いているが?」
整った顔立ち。額は月代に剃られ、本多髷、圧鬢は清潔感があってよく似合っていた。
桃太郎も顔は見たことがあり、男前だが、年齢は確かまだ三十になったばかり。少し頼りない印象であった。
保土ヶ谷誠次郎は無紋の直垂姿。書き物をしていたようで、檜の机に腰をおろし、桃太郎が入ってくると、「おや?」と首をかたむけた。
「そなたは、絹月の――」
「お久しぶりでございます。保土ヶ谷様。絹月付きの振袖新造・桃太郎にございます」
桃太郎は座敷に入ると膝をつき、平にお辞儀をした。
保土ヶ谷誠次郎は桃太郎の顔を覚えていたようだ。『灸なり』で絹月の横についていたときとは容姿もそうとう変わっていたと思うが、よく気がついたものだ。
桃太郎はゆっくりと顔を持ち上げた。目の前にいる保土ヶ谷誠次郎に、角はなかった。
「この度は、先日江戸吉原にて起こりました出来事についてご報告に参りました」
桃太郎の面持ちに感じ取るものがあったのか、保土ヶ谷誠次郎は立ち上がり、正面から向き合う容で座りなおした。
「いずれお耳にも届くことかとは存じますが、絹月たっての願いにより、一足先にこうして参じた次第にございます。
原因は、不明ですが吉原が火事に見舞われました。被害は甚大にして、『灸なり』のみならず、遊郭全体の営業も儘ならない状態になりましてございます」
「吉原が火事……真か。して、絹月殿は……?」
おいらんは――
桃太郎は言おうとして、唇だけを動かした。
言葉がつまって出てこなかったのだ。事態を知るに至り、保土ヶ谷誠次郎もすぐに訊ねてきた。
それを伝えるために来たのに、ここで躓いてどうする。桃太郎は自分を叱責する。
「如何した?」
「――あ。え……っと。いえ――」
桃太郎の頬を涙が伝った。
悲しみが蘇ってきたわけではない。
恐怖を思い出したわけではない。
保土ヶ谷誠次郎の真っ直ぐな眼差しが、真実をまだ知らない純粋な疑問符が、桃太郎の涙を呼び込んだのだ。
「火事が、あったのは――おいらんが年明きをする当日の早朝――前日のお役目多忙につき、火事に気づきし時すでに遅く、おいらんは崩れた梁の下敷きに、そのまま、お命を落とされました!」
「――そうか……」
「申しわけがありません! わたしが、わたしがもう少し早く駆けつけていれば、失火に気がついていれば! おめおめと生き残り、このような行過ぎた進言、どうかお許しくださいませ!」
桃太郎は零れては止まない涙も拭うことなく、とうとう畳に額がつくほど顔を伏せた。
我慢していた。絹月の名代をようやくやり遂げることが出来た安心感もあったのかもしれない。
あの時飲み込み、これまで堪えていた堰が切られると、もう自分ではどうすることも出来ずに泣いた。
「桃太郎……そなたにそう大泣きされると、私の悲しむ隙間がなくなってしまうではないか……」
保土ヶ谷誠次郎は桃太郎の肩に手を添え、顔を上げるようにした。
「も、申しわけありません……ぐずっ……」
「して、そなたはここへ絹月の使いで参った、そう申していたがそれは?」
「あ、あい。それは――」
問われ、桃太郎は小袖の袖で目元を強引に拭い、横に置いてあった荷物から長布に巻かれた『色斬』を保土ヶ谷誠次郎へと差し出した。
「これは?」
「あい。実は……死の間際、絹月よりお預かり致しました、保土ヶ谷様の太刀――あ。その! 銘はまだ入れておりませんが、相違なく『色斬』にございます」
そうだ。絹月には銘を入れてから届けるように云われていたのだった。
桃太郎はそのことをすっかり失念していた。事ここに至って思いだし、長布をほどく手が覚束無くなる。
その手を、保土ヶ谷誠次郎は直に掴み制止させた。
「待ってくれ。『色斬』? それを届けるよう、絹月がそなたに頼んだというのか?」
「えっ?」
長布はまだ鍔にも届いていない。掴まれた手から顔を持ち上げると、保土ヶ谷誠次郎は眉間に皺を寄せ、少し怖い顔をしていた。
「――あ、いや澄まない」
手を離し、もとの机まで戻ってゆく。
保土ヶ谷誠次郎は眉を寄せたままで、口元には苦笑を浮かべようと取り繕っている様子。しかし表情は硬い。
桃太郎はもう一度疑問符を重ねた。
「?」
「桃太郎。そなたはその太刀の意味を知っているのかい――?」
「え……っと」
桃太郎は逆に訊ねられ、慌てて記憶を手繰り寄せた。
これまでを経ておいておかしな話ではあるが、『色斬』が「色情を斬る」とかけ、婚約の証としている、というのは飽くまで桃太郎のイメージであった。
それを抜きにして、桃太郎が絹月から聞かされていた説明は――
「この太刀を保土ヶ谷様がもう一度取りに来ると、おいらんを迎えに来る証として置いていったのだと……?」
「半分は、正解だ」
「半分……」
「私は絹月にこう言い残してきたんだよ。私が迎えにゆくまで、その太刀をずっと預かっておいてくれ」
「?」
「つまり、絹月が太刀を返してきたということは、私の身請けは受けられない、という破約のつもりなのだろう」
「それは言い掛かりにありんす!」
桃太郎は声を荒げて叫んだ。飛び出した廓詞にはっと我に返る。
が、どうしても苛立ちは治まらなかった。
絹月の想いは真剣であったはずだ。だからこそ年季を明けても吉原に残り、保土ヶ谷誠次郎の身請けを待ったのではないか。
それを、その想いを、今の言葉は踏み躙っている。死者への冒涜にも値するとさえおもえる行為である。
剰え保土ヶ谷誠次郎のいう通りだとしてもそれは――
「あ、その……おいらんは、保土ヶ谷様からの身請け話を本当に喜んでおいででした。たとえ、その『色斬』が破談を意味するところであろうとも、それは、命の灯消える間際、保土ヶ谷様のもとへ身を寄せられぬ我が身を嘆いてのことでございましょう。
おいらんの心根、どうぞご理解願いますようお頼み申し上げます……」
桃太郎は三度、平身低頭して申し述べた。さっきの涙で涙腺がゆるんでいるのだろう。目頭がすぐに熱を帯びてしまう。
絹月の認めた男が、それくらいの甲斐性を持ち合わせていると信じたかった。
桃太郎に保土ヶ谷誠次郎の気持ちを左右する権利はないが、共に絹月の死を悼み、想いを汲み、それを大事に生きてもらえると願いたかった。
しかし、無常にも、保土ヶ谷誠次郎の口から発せられた言葉は、桃太郎の紐帯を断ち切るかの如くであった。
「否。絹月の感懐、確かに受け取らせていただいたが、それはそなたの言うような情意とはやはり思えない。
そも、『色斬』とはなんなのだ。その太刀に絹月がそのような銘をつけたとならば、私との「色情を断つ」という離別を意味しているのではないだろうか。
たとえ吉原が火事に見舞われずとも、絹月はそれをそなたに預け、ここまで届けさせたのではないか?」
桃太郎は顔を上げ、ぽかんと保土ヶ谷誠次郎を眺めた。
まるで、現実の出来事だと思えなかった。
保土ヶ谷誠次郎は目の前にいるのに、とても距離が離れているような気がするし、自分の存在が薄っぺらい紙のようでしかなく、座敷の風景と混ざり合ってしまっている。
つまり、保土ヶ谷誠次郎はひとりで言葉を発し、桃太郎は桃太郎ではなく、ただ音を拾うだけの壁紙だ。
保土ヶ谷誠次郎は最後にこう言いつけた。
「こんなところまで来てくれてご苦労だったね。しかし私は太刀を受け取るつもりはない。
それが、絹月の想いには応えられない私なりの情意だ。その太刀『色斬』だったか? は、澄まないが持ち帰ってくれ。
とはいえ武士以外の者が刀を持ち歩くのは御法度であるから、密かに売り払ってしまっても、捨ててしまっても構わない」
「――は、はい! あ、あの。え……っと、その、ひとつ、お願いを聞き届けては、いただけませんでしょうか!?」
「私に、できることであるなら」
「え……っと、その、ここに来るまでにた――手助けを頼んだ若い武士が、駿府城下にて、この太刀を巡るいざこざに巻き込まれ、所在を求められております。然るにそれは単なる濡れ衣。どうか、手配を取り下げて貰えるよう進言をしていただけないでしょうか!?」
桃太郎はドサクサに紛れてとんでもないご都合話をし出していた。
これは、保土ヶ谷という名の知れた武士の進言であれば手配を取り下げてもらえるだとか、悲嘆に暮れる桃太郎の無駄足を引き合いに出して、など、打算的な思惑があったわけではない。
単に、混乱していただけだ。
テンパリが頂点のため、思いついた適当なことが口を衝いて出ただけだった。
「……分かった。話を聞いてみて、私に可能であれば、取り下げを願い出てみよう」
保土ヶ谷誠次郎の頷きを受け、桃太郎は何度もお辞儀を繰り返し、取るものも取り敢えず逃げるように屋敷を――いや、完全に逃げ出した。
奥座敷を離れると廊下を駆け出し、案内をしていた小姓の姿すらも目に入らず、玄関を降りると草鞋を手で掴み、素足で表へ飛び出していたのだ。
「あ! お客人、ちょっと、外は――!」
外は、いつの間にやらしとしとと冷たい雨になっていた。
空気が冷たく雪が降ってもおかしくない寒空なのに、落ちてくるのは肌に痛いくらいの雨粒ばかり。
桃太郎はじっとりと湿る土を蹴り上げ、『保土ヶ谷』の門を抜ける。
そこに、おこまと松金さんが待っていた。
「おこまさんっ!! 松金さんっ!!」
二人の名前を大声で呼び付け、屋敷の前の通りへ躍り出た、桃太郎はその場で、なんと気を失った。
足下をよろけさせ、前のめりに倒れてゆく。
***
「お前さん……松金さん、なんて呼ばれちまったのかい?」
「……いまは、それはどーでもいいことじゃないか?」
軽く雨に晒され、冷たく濡れた桃太郎を地面に触れさせることなく抱きとめた二人は、そのまま担ぎ上げ、街道沿いの旅宿へと急ぎ走っていったのだった。