四話 ―
桃太郎とおこま、松金さんの一行は、京に着いてまず旅宿を取った。鴨川沿いの『十文字庵』という宿で、目につき易く、市内を流れる鴨川を辿れば迷ったときでも見つけやすい。
広い京都を効率よく調べて回るのに、集合場所は必須だったのだ。
「それじゃあ、だいたい二刻くらいを目処に。遅くても日が暮れたら戻ってくること。それと、お武家様は、鬼に限らず何かあったら、勝手にひとりで無茶をしないこと! いいですね?」
「あーい」
桃太郎は手を上げて素直に返事をした。
おこまや松金さんに比べて、自分の無力さは重々承知しているつもりだ。
『色斬』がこれまでその力を発揮してこれたのも、二人の手助けがあったればこそ。
少なくとも『保土ヶ谷誠次郎』という鬼が潜伏している可能性がある以上、桃太郎ひとりでの遭遇は避けておきたい。
『保土ヶ谷誠次郎』を捜しながら『保土ヶ谷誠次郎』と遭わないようにするというのもまた、矛盾を否めないながら。
「まぁなんにしろ、鬼が市中を堂々と彷徨いていることもないだろう。騒ぎが起きていないか、もしくは摂津からの荷の先を当たった方がいいだろうな」
「荷っていわれても、あたい等にはそれがどんなものだったのか分からないし、そっちは松金さんにお願いするよ。あたいはその、騒ぎって方面で方々聞き込んでみるかね――お武家様は――」
「わたしは、京の色街、こっちだと花街っていうんですけど、祇園とか西陣上七軒とかを回ってみようとおもいます。おこまさん達には調べにくいところでしょうし、ああいう場所に集まる情報も、莫迦にはできませんから」
一瞬静まる宿の一室。
「だ、駄目でしょうか……?」
「あ、いや、駄目じゃないさ。それじゃあ、そっちは頼んだよ」
おこまは、複雑に含羞んで桃太郎に頷いた。色町や歓楽街というものには、善かれ悪しかれ情報や人が集まるものなのだ。相手が鬼であるなら尚のこと、そこを無視するわけにはゆかなかった。
吉原出身の桃太郎はその点適任である。
おこまも判断していつつ、巧く切り出せなかった部分があったのだ。
ただそれが、こうもあっさり言い出されてしまうと逆に悩んでしまう。
桃太郎にとっての遊女とは、どのような位置づけなのだろうか。
亡くなった姉女郎を慕っていることは判るが、それでも――複雑である。
「あまり無理しなくて構わないから」
「あい。分かってありんす」
「ではまたな」
部屋の窓からひょいと飛び降り、松金さんは通りを横切り雨樋を登り、屋根を走って姿を消した。
「あっちは、嵐山かね……あたいは神社、仏閣が集まった寺町の方から当たってみますか。秀吉公のおかげで、市中が分かり易くっていいや」
天正十七(1587)年頃よりの太閤検地の一環として行われた京都改革のことを云っているのだろうということが分かって、桃太郎はくすりとした。
「なぜに、おこまさんも松金さんも、この国のことをそんなに詳しいのでありんすか?」
「そりゃあ、あたいはもう十何分の一かもしれないけど、日ノ本の人間だからね。こっちに来ることになって、いろいろ勉強したんだ。最初は言葉もちんぷんかんぷんで苦労したもんさ」
「はぁ。偉いんでありんすなぁ」
「それはそれとして、さっきからお武家様、しゃべり方訛りが出てるけど大丈夫かい……?」
「訛りではなく「廓詞」でありんす、おこまさん。これから京の花街にゆくのに、嘗められないようにしなければならせんからね!」
「は。そういうもんなのかい? けどその格好で話す時は気をつけんだよ」
「あい。分かってます」
桃太郎とおこまは旅宿を出た。
それぞれの方向へと歩き、振り返ったそこにおこまの姿はもうなかった。桃太郎はなぜか負けた気がして通りを駆け出した。
通りを逸れる間際のおこまも先に、同じように背後を振り返っていたことには、当然気がついていなかった。
桃太郎は宮前町へ向かった。なぜここを最初に選んだかということに理由はなく、とにかくざっと聞き回り、花街を全て回るつもりであった。
目的は京遊郭というものの視察ではなく、人捜しである。
対象は『保土ヶ谷誠次郎』ではなく、ひとりの娼妓であった。
「お春ちゃん、元気にしてるかな……」
お春。それは幼い頃、桃太郎と共に吉原へ連れられた娘の名前である。
お鈴(蘿蔔)とお春は吉原で同じ『大国屋』へと預けられたが、お春の舞のセンスに目をつけた京の芸子小屋の主人と『大国屋』の主人と縁があったとかで、彼女は早い内に吉原を出ていたのである。謂わば身売り後の転売であった。
お春が売られた先も、今の名前も知らない桃太郎ながら、遊女の転売などそう頻繁に行われることもない。
八年前、そのように連れられた娘として聞いて回れば、所在が掴めるのではないかという期待があった。
「会って、せめて話がしたいと、そのように捜している者がいたことを、片隅にでも留めおいて頂けたらと願います……」
宮前町、その目ぼしい妓楼、遊女小屋を回り終え、桃太郎はそんな伝言を繰り返し、店を出て溜息をついた。
「で、伝言すらまともに残されせん……」
この姿で「お桃が捜していた」と伝えるわけにもゆかないし「桃太郎が――」と言ってもお春は桃太郎の源氏名など知らないだろうし、身分を明かすことは出来ないし、侍が捜しに来た、では誤解を生んでしまう。
いっそのこと一度宿で女装して来ようかとも考え、帰ったときの弁解が思いつかなかったからそれも諦めた。
お鈴よりも一歳年上なお春は今年で十八、九になっているはずだ。
それは遊女としても芸子としても全盛期であり、そんな年代の少女はいくらでもいる、という分かりきった情報だけが、宮前町を歩き回った収穫だった。
この先の聞き込みを考えると気が重くなってくる。
もちろん『保土ヶ谷誠次郎』に関する話も聞けず、悄然と項垂れながら通りを歩く桃太郎には、鼕々たらり楽しげに鳴り響く太鼓や笛、歌舞伎の開演、幕替えに鳴らす拍子木の音に紛れて、カラコロと頭上から降って来る軽快な音色にはまったく気がつかなかった。
****!
「――つめ、ったぁ!?」
だし抜けに降り注ぐ液体がお茶だと気がつく暇こそあれ、脳天に叩きつけられたものが地面に転がり跳ねる。
カッとなってその竹水筒を引っ掴み、隣の妓楼の屋根を見上げると、屋根仕事をしていたらしい男が慌てたふうに顔を出した。
――とおもったら、今度はその男が降ってきた。
あまりにも急な展開に文句をいうタイミングを逸した桃太郎は落ちてきた男にやんわりと忠告をし、その場を後にすることにする。
次はどこへ行こうか。
祇園は広いし上七軒は遠い。先斗町は鴨川の隣だが少し治安がよくないし、そうすると嶋原かな……
「嶋原」が室町時代、日本で始めて認可を受けた遊郭街であることは桃太郎でも承知のことであり、諸々を省いても一度は覗いてみたいとおもっていた。
「よし、次は嶋原にありんす!」
「お武家様、花街めぐりとは粋じゃね」
言葉が終わるのを待たず、桃太郎は弾かれたように相手との距離をとった。
右手を『色斬』の柄にかけ、抜剣しつつ相手を見る。
「――あら。あなたはさっきの……?」
声をかけてきた男の容姿に見覚えがあり、桃太郎は抜剣を停止。鞘へと戻した。
相手は、先ほど屋根から転げ落ちてきた男だった。
年齢は二十歳くらいだろうか。火消しが着る刺子半纏を羽織って、腰に鉤縄を下げた身軽な格好。
大八車一杯に積み上げた瓦の山が、彼の職業を物語っている。
桃太郎が警戒姿勢をとり、腰の太刀へと手を添えたことで、男の腰は完全に引けてしまっていた。
「お、驚かしてすまん、けど悪気はなかったんじゃ!」
「さっきのことですか? でしたらこっちは気にしてないと……」
「あ、いや!」
「今のことですか? でしたら――こっそりあとをつけていきなり後ろから声をかけるなんて、粋じゃないですね」
「ああっ!」
男は世にも憐れな声をもらして大八車に押し潰されるように、腰から砕けた。
桃太郎は少し言い過ぎだったかと苦笑しつつ、それにしても今の、自分の動きはなかなかよかったな、と自讃を送りながら、満足げに立ち去ろうとした。
男は、これまでの人生、こんなストレートに蔑まされたことはなかった。
男の瓦職人としての腕前は一流であり、態度は勤勉、真面目。かといって頑固者ではなく、仲間内、対外的にも評判はいい。
それがまさかの「粋じゃない」発言。初対面の相手に対しあまりの仕打。いくら武士だからといって酷すぎる。
ところが、男の胸に湧き上がる感情は怒りではなかった。
今までの自分が全否定される、充実感。それは快感であり、快楽といってもいいほどであった。
根本は、桃太郎が台詞の間際、見せた冗談交じりの笑顔であったのだ。
微笑みの内から突き放す、素敵な拒絶。男の揺れる心を打ち砕くのに、充分な一撃であった。
「っ!?」
「お武家様! お願いします、自分をお武家様の家来にしちょってください!」
大八車を置き去りに、男は桃太郎の足下にて人目を憚らずの土下座。
桃太郎は周章狼狽に周りを見回した。昼の花街は幸か不幸か人気もなく、仕方なく依然として後頭部を晒している男へと視線を戻す。
「え……っと。あの、あなたは?」
「はい! 自分、京は洛中にて瓦職人をしちょります多々良雪路と申します!」
じ、自己紹介……?
「そ、それで、その雪路さんは、どうして、その、わたしの家来など……?
職人を辞めてまで仕官が望みなら、わたしなどではなく、もっとちゃんとした侍のもとに行くべきですよ。ただ、今の時代、侍なんかになるより、職人を続けていた方がいいとはおもいますが。では、失礼します」
桃太郎は構わないことにした。
疑問符を重ねていては期待を懐かせてしまう。どんなに頼まれたとして、雪路という男の職を奪うことは桃太郎にはできないのだ。
「あ! ま、待っちょってくだされお武家様!?」
無視。無視。
立ち去ろうとする桃太郎に気づいた雪路は立ち上がり、行き先に回りこみ繰り返す土下座。
歩みを僅かに曲げるだけで雪路の頭を躱してゆく桃太郎。頭の中で繰り返す「無視」。
無視。無視。無――あれ?
なんだかこんなことをしばらく前にもやったような……
桃太郎は何度目かの雪路を回り込みながら視線を下げた。
今回は、とくになにもないような気がするが――と不意に桃太郎の袴が掴まれた。
「――んな!?」
確認するまでもない。話を聞いてくれない桃太郎の態度にしびれを切らした雪路が実力行使に出たのだ。
「お武家様! どうか、どうか自分をお武家様のお役に立たせてくだされ!」
「――にぃっ!?」
桃太郎でも、この態度は頭にきた。いや、頭にき方が桃太郎なりだ。
実際、気の短い侍が相手だったら切捨て御免も已む無しである。
おこまのときはこんなに怒ることもなかったのに。
これは、久しぶりにあの必殺技を使うを得ないようだ。
桃太郎は無理に脚を引いたりすることなくその場で立ち止まり、呼吸を整え、力に任せて女を自由にしようとする野暮天男を見下した。
「雪路さんでしたっけ――?」
血の上った頭でも廓詞にだけ気をつけて、
「あなた、独り身でしょ。真面目に仕事をがんばって来ましたって周りにちやほやされて、不自由なく出世して、そろそろ祝言を、なんて焦ってる。
いい人がいないのは勤めが忙しかった所為だとし、飲みにいっても普段の付き合いでも、声をかけられないのは周りの女に目がないからだって思い込んでる。
実は出自がいいんじゃないですか? だから足掛かりでもあれば武家でも玉の輿を狙える。
都合のいい姿見ばかり見てきましたか? それとも姿見を見たことないんですか? 世の中はあなたを中心に回ってるんじゃないんですよ。
離しやがれ!」
――ここ。
一息で袴の裾を払い、相手の手を振りほどく。
男は情けなさに狼狽し、やり場のない怒りに混乱する。
激昂した相手が暴れだす多少の危険は伴うが、場所と洞察眼さえ弁えていれば、効果は絶対である。
必殺『真情晒し』。男は自分のことを言い当てられるのが苦手である。
それが他人に隠しておきたい裏側であれば尚のこと。
相手の容姿、話し方、多少の情報があればそれの真偽を見極めたうえで本質を推理し、看破する。絹月の傍らで洞察眼を磨いた桃太郎が習得した、仕置き「秘芸」のひとつであった。
「そ……んなことまで、なぜ分かるんじゃ……?」
これには流石の雪路も参ったようにみえた。
慄然とへたり込む雪路に納得して、桃太郎は脚を踏み出した――袴が再度掴まれ、動かせなくなった。
「す、凄いお武家様じゃねぇ! 自分、どうしてもお武家様について行きとうなりました!」
「あ、あのですね……っ」
『色斬』で斬ったら、鬼じゃなくても情念を祓えんしか……
こめかみをひくつかせ、物騒極まりない考えが浮かんできたその時、桃太郎は袴に縋りつく雪路を見てふと別の作戦を思いついた。
危うく『色斬』へと伸ばしかけていた手を降ろし、雪路へと向き直った。
桃太郎が自分の方へ向いてくれたので、雪路は掴んでいた袴を放し、何度目かになる低頭を繰り返す。
「え……っと、雪路さん。あなたにどれだけ頭を下げられてもわたしはあなたを召抱えることが出来ません」
「そ、そこを、枉げてお願い致しちょります!」
「あなたは先ほど、わたしの役に立ちたいといいましたね。ならば、家来にはできませんが、わたしの手伝いをしてくれませんか?」
「はい! もちろん致します!」
即答である。桃太郎は心持「引き」ながら言葉を続けた。
「では……っと。その前にもうちゃんと立ってください。人に見られたらわたしが困ります」
桃太郎は雪路を立ち上がらせ、今度は身体ごと、判るくらいに身を引いた。
当然といえば当然ながら、雪路の背丈は桃太郎よりも高かったのである。その辺の男性と比べても大きいのではないだろうか。
まともに立っている姿で向き合っていなかった所為で油断していた。
なぜか命令する立場となった桃太郎が首を直角に見上げて話をするのもおかしかろう。距離をとったのはそのためだ。
「あ、では。わたしは桃太郎といいます。江戸から人捜しで京までやってきました。京をよく知る雪路さんに手伝ってもらいたいのは、その人捜しです――って聞いてます? あのっ!?」
「え、あ、はい! 聞いちょる、聞いちょりますとも! 人をお捜しでおいでで。それで、花街をまわっちょったんじゃね」
雪路は忙しなく返事を取り繕った。頭の中で「桃太郎」という名前が反響していて上の空であったことは内緒である。
本当に大丈夫なのかと眉をひそめる桃太郎ではあったが、桃太郎にも内緒のことがあった。
それは、捜している人物が、この京都にいないかもしれない、ということを雪路には伝えない、ということだ。
つまり、京都にいるかどうかも分からない『保土ヶ谷誠次郎』を捜させ、こっちはこっちでさっさと集めた情報を解析。居場所を突き止め、京都を発ってしまおうという作戦だ。
「それで、わたしが捜している人物というのは『保土ヶ谷誠次郎』という――」
「ああ。保土ヶ谷様ね。知っちょるよ。自分の親方の弟さんが、出雲の方で瓦職人、これは焼きを専門にやっちょるんじゃが、保土ヶ谷誠次郎様はそこの常連じゃ」
「え……」
「んまー。その保土ヶ谷誠次郎様と、も、桃太郎さまがお捜しになっちょる『保土ヶ谷誠次郎』様が同じかは分からんけど、確かめるなら案内しちゃりますよ!」
「えええっ!?」
――だ、だって鬼が瓦をって、鬼瓦じゃあなきにありんすぞ!?
という台詞を驚愕の叫びで誤魔化した桃太郎は、よろめく足下を必死に踏ん張り、咄嗟に口走ったのはこんなことだった。
「じ、実は、わたしが捜しているのはもうひとりいるんです!」
「もうひとり……それは?」
流石にこれは雪路にも怪しいと警戒されたかともおもいながら、動揺を隠すので精一杯の桃太郎は言葉を続けた。
これも即答されたらどうしよう。そんな不安を抱えながらだから尚更だ。
「それは、わたしの生き別れた妹、です。妹は幼名をお春といい、江戸の吉原へ身売りされたのち、京へ送られたと聞きました。わたしはそれで、花街を回っているところだったのです」
「お春さん……」
訝しげに首をかたむける雪路。緊張が走る。
幼名しか知らないというのは疑われないだろうか。
嘘は「妹」という部分以外ついていないながら、遥々京都まで人を捜しに来たにしては情報が少なすぎる。
即答の出来ない難題を突きつけ、自分を巻こうとしているのでは、ということに雪路が気がついたんじゃないかと心臓が胸の内で跳ね回る。果たして、
「泣かせる話じゃね……桃太郎さまも大変な道のりじゃったね……承知しました! 自分が、その江戸から連れてこられたお春さんを必ず見つけて来ちゃります!」
「た、頼もしいお言葉。どうかよろしくお願いします!」
惚れた相手に信頼を預けられ、雪路は「うひょー」なる奇声を発しながら大八車まで駆けて行くと、それを引いて勢いよく戻って来た。
「ところで桃太郎さまの旅籠はどちらで?」
「あ、え……っと。鴨川沿いの『十文字庵』です……」
「合点承知。楽しみに待っちょってください!」
雪路は鼻の下をぐいっと拭い、砂煙を白く残る雪に引っ掛けながら通りを走り去っていった。
そんな背中を手など振りつつ見送って、桃太郎は必ずまた出会う予感をひしひしと感じていたのであった。
「だって宿教えちゃったし、二度目ともなればわたしだって学習しますって……」
おこまと再会するのにかかったのは約一日。次に雪路が桃太郎の前に現われるのは、どれくらいあとになるだろう。
密かに、楽しみな桃太郎でもあった。