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             四話 


 桃太郎は夕凪に持たされた生八つ橋を「お土産」といって「はいはい。それはあとでいただくから」と応えるおこまに渡すと、ややあって松金さんが帰ってくるのを待って、
雪路という男が『保土ヶ谷誠次郎』なる人物を知っていること、それと、夕凪という娼妓と出会ったことを二人に話して聞かせた。



 そして、話を聞き終えた二人は、同時に「うん」と頷いた。




 「あたいの方はだけど――」




 「その前に、次は俺様が話す――」




 「ちょっと待ってくれなんし」




 「「?」」




 ………………。




 「いや、だってわたしの話を聞いて、感想とか、意見とか、質問とか……ないんですか?」




 桃太郎をよく知る二人は絶句気味の若侍をきょとんと見詰めてから、そろった動きでお互いの顔を見合わせた。




 「それじゃあ、お武家様のお姉さんの遺志はそれなりに果たされて、『色斬』にはもう鬼を斬る力がないってことかね?」




 「そういうことはないだろう。
遠江でその役目を終えているのなら、引佐峠の鬼を斬ることは出来なかったはずだ」




 「あと、誰だっけ、雪路? とかいう瓦職人はどーする?」




 「どうするもこうするもない。そいつの居場所も分からん。
  今度はその瓦屋を捜すのか? それこそ本末転倒だ。ここに来てくれるというならそれを待てばいい。
  できることなら先に『保土ヶ谷誠次郎』の住処だけでも聞いておければよかったがな」




 「それで、お武家様はそのお女郎さんの話を聞いて、鬼退治をやめようってのかい?」




 突然、台本でも読むかのようなすらすら進む会話の最後、話をふられ、桃太郎はぎこちなくもしっかりと、首を横に動かした。




 「え……っと。それは、ないですけど。姉さんの遺志がどこにあろうと『保土ヶ谷誠次郎』は斬るつもりです」




 桃太郎を、桃太郎以上によく知る二人は再び顔を見合わせ肩を竦めた。


 松金さんはともかく、おこまは確実に肩を竦めてみせると、桃太郎の肩をそっと触れ、




 「ね。お武家様はそうやって、自分で道を決められるんだから大丈夫。全部吐き出して、すっきりしたんじゃない?」




 「聞き役とはそういうものだ。お前が悩んでいないのに、敢えて意見をいう必要はない」




 なんて、松金さんは続けておこまの言葉を
補填に勤めた。


 それがいうとおりだとしても、やはりなんの反応もないというのは寂しい桃太郎は「信頼してもらえてるんですすねぇ」と乾いた笑いを浮かべるのだった。




 「それじゃあ次は俺様が話す」




 桃太郎への愛想のあと、お茶を淹れはじめてしまったおこまの隙をつき、松金さんが報告に入った。




 「とはいえ、桃太郎の得てきた情報ほど、決定的なものではないが。
  まず、俺様が運ばれてきた商船の荷物は京まで届いていない。難破ではなく内海で海賊に襲われた、という扱いになったらしく、『
近江屋』という札差は大きな損害をったようだ」




 惣吉の商家でもある札差は、年貢を取りまとめ、幕府から送られてくる
り大名、旗本への禄高を配当する立場にあった職業である。


 それが転じて侍が衰退しつつあるこれからの時代、金貸しとしての意味合いが強くなってくるのはどうにも皮肉ではある。


 その『近江屋』という札差は、舶来モノの廻船問屋相手にかなりの出資をしていたようだ。




 「桃太郎の話と合わせると、船を襲った『保土ヶ谷誠次郎』は沈没させるではなく、そのまま船ごと積荷を持ち去ったようだな」




 「なるほど。それじゃあこれが奪われた荷物のひとつです、って松金さんを引き渡せば、礼金くらいは頂戴できるかもしれないね」




 お茶を淹れ、桃太郎が持って帰った八つ橋を差し出しながらいうおこまの台詞に、松金さんの眼の色が変わった。




 「ほう。いい度胸だ。やってみろ」




 「やめておいてあげる。あたいのお武家様はお金持ちだから。もしもお武家様に捨てられたときには、容赦なく」




 「それは、捨てられるのが今から楽しみなことだな……」




 バチバチと、火花を散らすふたりを、桃太郎は割って入って強引に引き離した。


 火花の熱で、せっかくの生八つ橋が、焼き八つ橋になってしまうと冷や冷やする。




 「どーしたんですか、さっきまであんなに仲良しだったのに!」




 「「仲良くなんかしてない!!」」




 ――っていきぴったりだし……




 「おやまぁ。え……っと。じゃあ、わたしがいつかは見捨てる前提で話するのだけやめてください……」




 桃太郎はギスギスした空気を和らげるため、と意味も含めて、真っ先に八つ橋を口にした。


 端からちびちびと噛みしだいていると、釣られておこま、松金さんと八つ橋へと手が伸びる。


 ほっと一息。



 そういえば、ここまでの道中も気を許すとこんな感じでありんした。犬猿の仲とはまことにありんしょうか……?



 また、喧嘩するほどなんとやら。


 桃太郎は口の中に餡の甘味がひろがって来た頃、ゆくりなく立ち上がり、松金さんの腰を下ろす窓際へと移動した。



 そして、なんとなく、宿から表の通りを眺めてみる。



 その様子に、おこまも窓際へ移り、松金さんも首を捻って外を見た。


 そう。この『十文字庵』も、通りに面した二階、だったので。




 「あ! ああいたいた桃太郎さぁん! 見つけましたよお春さん! でもなんでじゃろか、自分、目茶目茶追われちょるんじゃけどぉぉ!?」




 通りを全力疾走しながら、『十文字庵』を知っていたのだろうこちらを振り仰ぎ、大声を張り上げながらそのまま窓の下を駆け抜けてゆく男がひとり。



 ああ。やっぱり――と、桃太郎はおもった。




 「誰?」




 「雪路さんです……」




 八つ橋の半分を口元に押し当てながら、訊ねてくるおこまに、桃太郎は雪路ではなく、彼が走ってきた方向を見ながら答えた。



 まだ人通りの絶えない通りに悲鳴がこだましていた。


 雪路が通り過ぎていったそのすぐあと、旅宿の前を転がっていったのは、緑色の、巨大な車輪であった。



 雪路はお春を見つけた、と叫んでいた。そして、なぜか追われてもいると。


 雪路を追いかけて転がる緑の車輪。つまりそれは――




 「助けに行かなきゃ!」




 桃太郎は食べかけの八つ橋を放り出そうとして、思い直し口に押し込み、『色斬』を掴んで座敷を飛び出した。腹が減っては戦は出来ないのである。


 間をおかず、おこまもそのあとに続き、松金さんは、桃太郎が出てくるのを待って屋根から飛び降り合流する。




 「そーいやぁ、夜になると市中の通りを駆け回る、輪入道って妖怪がいるって聞いたことがあるけど、あれのことかね……」




 「妖怪じゃありません、鬼です!」




 「兎に角、まずは動きを止めんとな。ああ、動きまわられては手の出しようがない」




 「それに、こう人の目があると、また余計な騒ぎを被り兼ねないからねぇ」




 それは駿府城下でのことをいっているのであろう。


 あれから松金さんの策が功を奏したか、保土ヶ谷誠次郎の口添えがあったのか、追っ手が掛かることもなく手配書はすぐに回収されたものの、御尋ね者として肩身の狭い思いをするのは御免だと、桃太郎も激しく同意を示した。



 ここからでは大車輪も雪路の姿も見えず、風に乗って町民の阿鼻叫喚が聞こえてくるばかり。




 「どこかに誘導するにしても、鬼の眼を雪路さんからわたし達に向けなければっ!?」




 「それじゃあ先回り。松金さん、案内よろしく!」




 「了解した。まずは道なりに追え」




 桃太郎は松金さんが指示するとおりに駆け出した。おこまもその横を遅れずついて来る。


 おこまの場合は遅れず、というより先に行かず、の方が正しいか。



 松金さんは途中で商家の壁を器用に駆け上がり、屋根を伝って併走するようになった。




 「次の米問屋を過ぎたら左折!」




 怯えた表情で
から表を伺い見る米屋の主人らしき男の前を横切り、いわれるがままに進路を左に曲げる桃太郎とおこま。




 「どうするんですか!?」




 走りつつ、桃太郎は問いかけた。


 隣を行くおこまは元気よく耳を弾ませながら右の人差し指を立てる。




 「お武家様も、京の都がこう、碁盤の目のように路地が走っているのは知っておいでだろ? そこを、鬼は転げまわっている」




 目の前に京都の地図を思い浮かべるかのように指で鬼の軌跡をなぞるおこま。そこで今度は左の人差し指を立てる。




 「あたい等は上から松金さんに鬼の位置を目測つけてもらいながら、ジグザグに走って先回りしよう、って作戦さ」




 イメージの地図上でおこまの左右人差し指が別々の動きをしながらも見事に接した。


 桃太郎はおこまの指を目で追いほーほー、と頷いて、




 「なんだか、あまり楽な先回りではないんですね……」




 軽くげんなりした。




 「文句は無用! ダイエットだとおもってしっかり走んなさい!」




 「京ではまだ八つ橋くらいしか食べてありんせんもん!」




 「そら、次は右折だ。そうしたらしばらく直進だな。距離を稼げるぞ」




 「あ、ま、待ってくれなんし!」




 屋根の上の松金さんとおこまが加速して走りだしたため、桃太郎も遅れまいと踏み足に力を込めた。


 松金さんの指示が頭の上から飛び、その度に右へ左へ路地を選択し、走り続けること幾許か。




 「よくやった。次の路地で交差するぞ!」




 松金さんが緊迫を促す。


 通りへ飛び出した桃太郎は右手側から駆けて来た雪路の身体を抱きとめた。




 「雪路さんっ!」




 「も、桃太郎さま!?」




 突然腰の辺りにしがみ付かれ、雪路はふわりひろがる黒髪の流れにどきりと声を上げ、立ち止まった。そして、力が抜けたように腰からへたり込む。




 「ありがと! それからごめんなさい! こんなことになってしまって。でも、もう大丈夫ですからね!」




 桃太郎は雪路にそう語りかけ、敢然と腰の柄に手を添えた。




 「も、桃太郎さま、大丈夫じゃないっちゃね!? 後ろ! 後ろ!」




 やたらのんびりとした動きに雪路は悲鳴を上げる。


 肩を上下させ、呼吸を整えている桃太郎はいまだ太刀を抜かず、迫り来る大車輪を見てさえいない。



 それでも、車輪と車輪の間で、その輪を操っていた者には、桃太郎の姿は見えていた。


 突然の乱入者。それは、その者が望んでいた乱入者でもあった。




 「も、桃太郎さま!?」




 目に見えて勢いを増す大車輪の回転を関せず、桃太郎はとうとう車輪に背を向けてしまう。


 そしてその位置でまさかの抜剣。



 *********!!




 「――っ!!」




 目を覆う雪路。


 目前に迫る大車輪の右側が蹴りの一撃で破損。


 左の車輪に跳びついた五、六匹の猿がバランスを取り、桃太郎と雪路の擦れ擦れを通って大車輪の進行を逸らした。


 車輪の片方を失った大車輪から猿が掻き消えるとぐらり横倒しになりスリップ。


 桃太郎が敢然と切っ先を突きつける前で、車輪をばらばらに崩壊させながら停止する。




 「あの、ここってもしかして――」




 「そうだねぇ。
京都御苑……通称『御所』の目の前、丸太町通かね」




 「ま、また……」




 「なに。権力のお陰で都合よく人払いができている。それに、あの姿をみて、ただの人斬りだとは思われまい」




 「ほら。あっちに二条城が見えるよ。あたい、昼間ここ来たんだけどなぁ」




 一連の事態を見逃してしまっていた雪路は、そんなどこかのん気な会話に目をひらいた。そこにあった光景に息を呑む。



 二人(正確には一人と一匹)の御供を左右に従える桃太郎の背中の、なんと神々しいことか。


 一陣の風が舞い、漂っていた砂煙が月明かりに吸い込まれ吹き散りゆくと、桃太郎の立ち姿を粉雪が吹き輝かせた。




 「桃太郎……名前だけじゃ分かりまへんどしたけど――」




 崩れ、折り重なるようにして、それでも蠢く植物の枝、葉、根。その中心からむくりと起き上がった美しい舞妓の姿に、桃太郎は『色斬』を八双に構えた。




 「顔を見てすぐに判りましたわ。変わってへんなぁ。桃ちゃん……」




 自然では在り得ないほどにうねり絡まる枝葉を引き摺りながら、鬼は妖艶に歩き出した。


 一目で判る上等な振袖と、五角形に結わえられた錦繍が見事な帯。植物は、それら隙間、袖口、裾の端からずるりと生えていた。




 「お春ちゃん……お春ちゃんは変わったね」




 「そうえ。誰も、あの頃のままではおれまへん。人は変わるもんどす。今は、
桜木と呼んでいただいておりますえ」




 「うん。とっても、綺麗になったよ」




 「…………」




 桜木と名乗ったお春の顔は白塗り、下唇には紅が乗せられとても美しかった。


 ただ、その額から伸びる歪に枝分かれた二本角だけは、沈むような緑色である。




 「それはおおきに」




 桜木はずるりと袖を持ち上げころころと笑った。




 「でもあなたも大変やね。吉原が火事になったお陰で、そんなみっともない格好せなならへんで……」




 桃太郎は
に隠された棘を見た気がして奥歯を噛んだ。


 鬼になるには理由がある。それは誰にでもある。人であるが故、人に蔑まれた人である遊女であれば、あって当然である。



 桃太郎にだって、ある。



 だから、美しく
麗容な桜木が、鬼となっていることになんの不思議はなかった。



 だから、今回は敢えて、理由など、訊ねることなく鬼を祓おうと考えていた桃太郎はしかし、桜木の棘を目にしてしまった。



 結果は変わらない。


 松金さんやおこまが、結論の出ている話を蒸し返さなかったように、棘に触れようが触れまいが、桃太郎が桜木を斬ることは変わらない。


 それでも目にした棘に触れず、その根を断てるほど、桃太郎は器用ではなかったのである。




 「知っていたんですね、大火のこと……」




 「ええ、うちを
贔屓にしてくれはる輪違屋はんも嶋原にありはるさかい姉女郎さんに聞きもうした――桃ちゃんもうたんやろ? うちの姉女郎さん――夕凪女郎さんに」




 「ゆ……う……」




 「姉女郎さん、とても褒めてはりましたわ、桃ちゃんのこと。あない、心身から素直に娼妓の気概を表せるんはこの京嶋原を捜しても、なかなかおらんいうて、ここ最近ではとんと見いひん、幸せそうなお顔で
うてましたわ……」




 「お、お春ちゃん……」




 「――お春などはもうおらしまへん! うちは夕凪太夫付きの
振袖太夫・桜木どす!」




 白塗りの顔面に醜く皺が刻まれ、その形相はまさに般若の如し。しかし既に角を有している桜木は、そのもの鬼と相応しき憤怒の面構えで怒声を張り上げた。



 桜木の気魄に、
しい枝や根が背後で戦慄いていた。




 「姉女郎さんに、あの笑顔を見せるんはうちの役目やった! 多少褒められるだけやったら、うちも素直に知り合いやと紹介できた! 会いに来てくれたんだって、最初は嬉しかった!
  それが、会うたばっかしの桃ちゃんなんかが、
姉女郎さんに出さしてええ笑顔じゃあらしまへんのや! ええ加減にしい! 何様のつもりや! しかもそないけったいな格好しくさりやがって、どこに姉女郎さんが褒めちぎる要素があんねや!」




 叫ぶことに夢中になっている所為か、桜木の歩みは止まっていた。


 この中で、一番
しいのは桃太郎の左に立つおこまである。


 鬼の操る植物に警戒しつつ、桃太郎へも気を配らなければならない。


 桜木が鬼となっていたということは、桃太郎の知り合いの遊女がそろって鬼になったということだ。その心中穏やかであろうはずがない。




 「……その男もそう。うちを捜しに来た侍がおると、夕凪姉女郎さんから桃ちゃんのこともう聞いとったうちの前でぺらぺらぺらぺら。そいつ、桃ちゃんのこと好いとうよ。男とは思えへんほど綺麗やの、心優しくて菩薩のようやの、男だと勘違いして惚れとるようやね。おお気持ち悪い」




 「おや。あんた若い身空で男色かい? そいつは結構なもんだね」




 桜木の暴露を受け、おこまが後ろの雪路を喜色満面にちゃかすものだから、こちらもこちらで心中穏やかであれなかった。


 思わず見上げた桃太郎の横顔は、そんな雪路をちらりと一瞥。すぐに桜木へと視線が帰る。




 「――あああっ!」




 桃太郎に見下されたのはこれで二度目となる雪路ではあったが、今度ばかりは率直に絶望した。


 軽蔑された、と思った。桜木がいうとおり、男色など気持ちが悪いだけだと、惨めで忍びない自分の顔を覆い隠すようにして、わっと泣き崩れた。




 「どいつもこいつも桃太郎、桃太郎いうて頭に来たさかい、もうなにもかもどうでもよくなって、うち、鬼になることを受け入れたんや。
  そんで、手始めにそいつから殺してまおうおもたんやけど、いきなし大本命やなぁ!」




 叫び、怒りを振り撒きながら、振袖の裾から伸びた植物に押し上げられ、上へ、上へと伸びて行く姿は、桜木という花を掲げた一本の幹のようであった。




 「叫んで、声にして、それでも、晴れないんだよね……」




 仕方がない。何度も見てきた。何度も身に浴びてきた仕方なさだ。


 その度に、歯を食いしばって受けてきた。


 堪えることが出来たからじゃない。その仕方なさが、桃太郎にもよく分かったからだ。




 「でも、今回ばかりは受けてあげられせん! その恨みは、お門違いにありんす! 桜木
姉女郎さん!」




 桜木は両腕の枝を振り回すとそれぞれを巨大な輪にし、枝を伸ばして上空から叩きつけてきた。


 それが、戦いの
火蓋を切って落とすとなった。