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             五話 -



 火傷の度合いは四等分してもなお重く、おこまは自分を含め、全員の手に治療を施した。


『色斬絹月』の仕上げに入った雪路を残し、工房を借りているお
の自宅へと桃太郎達は戻ることにする。



 縁側を通り過ぎようとしたそこで、漂ってきた香りに桃太郎は足を止めた。堪らず大きくのどを鳴らす。




 「お武家様、よだれ、よだれ」




 「――やめてください。垂れてませんから……」




 それでも口元を気にしてしまうのだから
かではない。


 今日は霧さえ出なければ薄雲がたなびく快晴である。縁側から座敷を眺めていると、ちょうど食事の用意を終えたようなお郁と視線が交差した。




 「ああ、お武家様方。今しがた食事の用意が整ったところでございます。たいした物はございませんが、どうぞお上がりください」




 「あ、いえ、忝い。ときにお郁さん。この、
しい香りはいったい……」




 桃太郎の訊ねに対し、目を輝かせるお郁。




 「まあ。流石はお武家様、お目が高こうございます! こちら、播磨の灘で獲れた新鮮な
海松貝が調達できましたので、素材のままを味わえるようにと、塩焼き、そして刺身にてご用意させていただきました」




 桃太郎とおこまはどちらからともなくお互いを振り向くと密かに視線を交わす。




 「海松貝ってけっこう希少価値が高いんですよね?」




 「貝類の王様。旬は春先だけど、冬場でも味はそう落ちないはずさ……」




 「あら。貝は苦手だったかしら?」




 「「いえ。いただきます!」」




 お郁に応え、桃太郎とおこまは頷いた。


 やれやれと肩を竦める松金さんを連れて座敷へと上がらせてもらうことにした。


 もちろん松金さんが家に入る許可は受けており、お郁は松金さんの分も、ちゃんと膳を用意してくれていた。



 
海松貝。大ぶりの二枚貝であり、呼吸に使う水管という部位に海松(ミル)という海藻をつけていることからこう呼ばれる。


 深みはあるが癖が強いわけではなく、食べ応えのある身は特にその水管が大変美味であった。



 膳に着き、桃太郎達がこの食事を受けられることに手を合わせていると、お郁が不思議そうに首をかしげていた。




 「みなさまどうしたんですか? そろって左手に包帯……お猿さんまで?」




 「え……っと、その、これはちょっと……」




 「そうですか? けど、みなさま右手じゃなくてよかったですね。
  だって、右手じゃお箸が持てませんもの」




 そういってころころと笑うお郁が気を利かせ、席を外すのを待って、おこまは桃太郎の脇腹をつつく。




 「お武家様……まさか本当に?」




 火傷をさせたのが左手である理由を勘繰っているのだ。


 「そんなわけがないじゃないですか」と丸々肉厚で食べ応えのある海松貝の塩焼きをほお張って、幸せそうな桃太郎の横顔に、おこまは苦笑交じりに溜息ひとつ。ぷっと吹き出してしまうのだった。



 ややあって、桃太郎が飯と海松貝を二回づつ御代わりした頃、雪路も工房からやってきた。


 縁側への襖は開いているとはいえ、外は雪が積もる景観だ。


 やってきた雪路の額にはやはり汗のつぶが浮かんでいた。




 「桃太郎さま。お待たせしちゃりました。こちら、『色斬絹月』確かにお返し致します」




 「ありがとう。疲れたでしょう……雪路さんもどうか休んでください。すいません。お食事は先にいただいてます……」




 「あいや、ええですよ」




 雪路は膳には着かず、客間の奥、土間で家事をこなしているお郁のもとへ向かった。工房を使わせてもらったお礼や、窯の火の用心のことなどを話しているようだ。



 太刀を受け取って、どうにも落ち着かない桃太郎は急ぎ三杯目を掻き込み手を合わせ、表へと飛び出していった。




 「基本、三杯だねぇ……」




 「なにがじゃ? あれ、桃太郎さまは?」




 「試し斬り」




 「え、ええ?」




 台所から戻り、膳に着いた雪路は、おこまの物騒な一言にぎくりと身を引いたのだった。



 雪の似合う松葉の庭で、桃太郎は胸の前、
に包帯の巻かれた左手を、に右手を遣る。


 呼吸を整え太刀をゆっくり真上へと引き上げてゆく。


 雪路によって刻まれた銘が上下逆さまに現われはじめる。


 工房で見たときは黒く焦げてしまっていた刀身は、いまやすっかり元の輝きを取り戻していた。



 *****!



 鞘走る澄み渡った音。桃太郎は『色斬絹月』を引き抜いた。




 「………………」




 ざっと右の草鞋を引き、足下の雪を払う。左手の鞘を積もる雪へ突き立て、『色斬絹月』を八双に構えた桃太郎は気合一喝。




 「せぇいっ!!」




 大きく右足を踏み込み白刃を振り下ろした。


 袈裟懸けに左の脚へと抜ける太刀筋に乱れはない。それどころか銘を入れただけだというのに、随分と重さが軽減されたような気がする。


 雪景色、あえか残る稲妻の紫電を、桃太郎は不敵に眺めていた。




 「海松貝と掛けて、うけをとった酔っ払いと解く。そのこころは――どちらも
水管(酔漢)がおいしいです……!」



 今日も桃太郎は絶好調であった。



――――――――――


 食事を終えると旅の安全を祈願してくれるお郁に別れを告げ、桃太郎一行は出発することになった。


 鬼として利用された猫達はやはりまだ目覚めぬまま、一旦お郁が引き受けてくれることとしてくれた。そうはいっても一度に四匹は飼えないから、宿場で里親を探してくれるということである。


 ただ、これまで人から受けた虐待を完全に忘れさせたわけではないので、接し方にはくれぐれも注意をしてほしい、とだけ、念を押して伝えておいた。



 別れ際のことである。


 そんな猫達に、桃太郎はそれぞれ
時雨美雪と名づけていたことには全員が驚いた。


 おこまが何より驚いたのは、なぜ松金さんだけが「松金さん」だったのか、ということであったが、本人、呼名に
りがないようなので、そこは敢えて口にしないことにしておいた。



 これから桃太郎一行が向かうのは、
明石の海に面した、神戸という静かな漁村である。




 「十年くらい前に鎖国政策が
かれるまでは、外国からの貿易船なんかも寄って、それなりにうまくやっちょったんじゃが、今は猟師が魚獲って暮らしちょるだけのちいさな村じゃ」




 
神戸という村が脚光を浴びるのは、これから二百年ほどあとのこと。


 
長州薩摩より端を発した倒幕、近代国家成立を目指す動乱の最終章である戊辰戦争が終結し、明治政府が設立。早急な富国強兵が求められ、1868年神戸港が開港する。


 
廃藩置県により摂津が兵庫と名を変える頃のことである。



 それはさておき、桃太郎が雪路の話で興味を持ったのは、別のことだった。




 「鎖国って、なんですか?」




 ………………。




 
鎖国とは、今から十年ほど前、寛永十八(1641)年に完成した、諸外国からの貿易利益を犠牲にしてまで、封建秩序の乱れと西南地方大名の富強を恐れた幕府が推し進めた、禁教令と貿易制限政策である。



 おこまは軽く頭を抱えながらその辺りを掻い摘んで説明。


 現在、貿易が認められているのはオランダ、清国、朝鮮のみで、寄港は九州、
肥前対馬の一部であること(厳密には琉球(今の沖縄県)、蝦夷地(現在の北海道)も異文化圏とされていた為、琉球→薩摩、蝦夷→奥羽地方の4箇所であった)を世間知らずの桃太郎に教えた。



 それを踏まえ、桃太郎はまたしても首をかしげることになる。




 「あれ。でも、松金さんは摂津の港へ来る予定だったんですよね? それは……」




 「人が決めた制限や境界になんぞ、興味はない」




 桃太郎はそれはそうか、と思い、もう一度視線をおこまへやった。




 「まぁ。そこはそれ、ってやつさね。あたいだって、日ノ本に着いたのは
越後だよ。それに、の例だってあるしね」




 ここ摂津の明石城主である幕吏・高山右近が、禁教令以降もキリスト教を支持し続けたため、慶長十九(1614)年に国外追放となっているということまでは、流石のおこまも知るところではなかった。


 あっ気らかんと話をしているおこまより、そんな国内事情を初めて知った桃太郎がどぎまぎしてしまい、街道に他の人通りがいないことを改めて確認してしまった。




 「でもそうすると、わたし以外のみなさん、おこまさんも松金さんも雪路さんも、大陸からこの国へ渡ってきたことになりますね」




 「そうじゃね。自分は、まだ実際に
出生の地を踏んだことはないけんど、広い意味ではそうじゃな」




 「なに言ってんのさ。だから、あたいはもともとこっちの人間だって」




 「逆輸入みたいなものだな。正規品の半値以下だ」




 わざとらしいちょっかいを出してくる松金さんとおこまが
巫山戯あっているのを他所に、桃太郎は荷台に揺られながらひとり考えた。



 もしかしたら、わたしの出自も海を越えた向こうの世界にあるのかもしれない。


 太刀一本から始まったこの旅がそんな結末を告げるのであれば、それはまさに御伽噺である。


 この仲間とは会うべくして出逢った。この旅自体、起きるべくして起こった。


 桃太郎にはじめから決められていた出来事なのだとしたら、絹月は、どこまでを見通していたのだろうか。



 ――たとえ吉原が火事に見舞われずとも、絹月はそれをそなたに預け、ここまで届けさせたのではないか?



 遠江の屋敷にて、保土ヶ谷誠次郎から言われた台詞が脳裏に蘇る。


 もし、それが、そういう意味の言葉であったなら、絹月は、保土ヶ谷誠次郎が太刀を受け取らないことを承知の上で、桃太郎を旅立たせたということになる。


 そういえば京で出会った夕凪も似たようなことを言っていた。


 『色斬』とは、桃太郎へのメッセージとして付けられた銘であると。


 全ては桃太郎に出自を探らせるため。




 「…………」




 考え過ぎでありんす。



 絹月が、命を賭してまで桃太郎に出自を探らせることに意味はない。


 そんな意味などあってはならない。断じて。



 なぜならそれは、桃太郎が絹月を殺すことすら、はじめから決められていた事になってしまうから。



 これから出会う『保土ヶ谷誠次郎』はなにを語る? そして桃太郎はなにを知ることになるのか――



 できることなら、なにもしゃべらんで斬られてはくれせんしょうか……



 桃太郎は自嘲気味に口元を弛め、遠い快晴の空を振り仰いだ。


 少しだけ、鬼を怖いと感じたのは、これまでで初めてのことだった。



――――――――――


 東海道をはじめとする主要五街道の整備すら大々的に始められたばかりのこの時代。


 宿場町や
駅家は必要限度であり、余分はない。


 東海道から外れ、山陽道に至る手前のこの道も、石畳によって整備はされているものの、宿場同士の間隔は十三里ほどもあった。


 お郁のいた集落から大八車を走らせることやっと次の集落が見えてきたのは日もだいぶ傾き、時を待たずして灯ともし頃を迎えようという時刻。


 「この分だと、今から出たんじゃ次の宿場に着くのは夜中だねぇ。ちょっと早いけど、今日はここで一泊としようかい」そういうおこまの提案に、雪路は首をふった。




 「いえ、この先の山を越えれば神戸漁村じゃ。みなさんは荷台で休んぢょってください。自分がこのまま運びますけん!」




 「おや、頼もしいねぇ。だってさ、どうする、お武家様?」




 雪路の気持ちはありがたいが、それでも日が落ちてからの道中は危険である。それを桃太郎が許可するわけにはゆかない――いままでであれば。




 「雪路さん……ここでは留まりません。お願いできますか……あ、でもその前に、お団子買ってきていいですか?」




 団子を八皿、それに握り飯四人前と追加で一人前。おこまは薬を補充し、桃太郎達は早々に宿場町を出発することになった。


 たいして往来も活発ではない宿場であったから、品揃えは期待してなかったおこまではあったが、やはり満足のゆく薬は手に入らなかったようだ。


 どうにも浮かない顔で荷物の中身を荷台へひろげては「うん、うん」と唸っている。




 「あの、おこまさん、松金さん、雪路さん。ちょっと、いいですか?」




 おこまに荷台の大半を占拠されてしまったので、よりちいさく膝を抱える桃太郎はおもいきって切り出した。


 桃太郎が少しだけ気持ちを急かされている理由。そしておそらく、みんなが気にしながら、気を使って黙っていてくれている話題。




 「あの……今朝現われた、蟻助という男についてです」




 「お武家様……言いたくないんならいいんだよ。あたい等はお武家様を信じているから、お武家様が分かっているならその道に続くまでさ」




 「おこまさん……」




 「――いや。俺様は興味がある。構わん。話してみろ」




 桃太郎と同じく荷台から追われていた松金さんは向き直り、きっぱりと言った。


 蟻助に興味があるわけではないだろう。鬼は何処から来るのか、と桃太郎に
したことのある松金さんがそういってくるのは桃太郎の予想のとおりであった。




 「松金さん!? 所詮は猿かい! 少しはお武家様の気持ちも察しな!」




 「お、おこまさん……」




 今にも噛み付きそうな剣幕のおこまに、しかし松金さんは冷静に左の、包帯の巻かれたひらを
し制止する。




 「まぁ待て。それはそのとおりではある。だが桃太郎は考えをまとめた末、俺様達に話しておくべきだと判断したのだろう。ならば俺様は興味がある。聞いてやってもいい、という意味だ」




 これもまた、桃太郎に寄せる確かな信頼である。おこまは自分の悪態が珍しく肯定されてしまい、「へんっ」とそっぽを向いた。




 「ありがとう、松金さん……」




 雪路はなにも意見を発しなかった。


 大八車を引くのが忙しかったからではない。桃太郎が話をするなら聞くし、黙っていたいならそれでもいい。


 そういうことなのだろう。肩越しにちらり振り見る視線が桃太郎に見つかってしまい、赤らんだ顔を正面へ戻していた。




 「雪路さん……」




 桃太郎はくすりと口元で笑いを噛み殺した。


 「あのですね……」桃太郎が改めてそう話をはじめたのは、
色からへと変わり行く空に宵待ち星が瞬きだした頃だった。