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             五話 -



 「蟻助という男とは、個人的にはなんのつながりもありませんし素性も知りません。
  もちろん、蟻助が鬼を媒介していたなんて知りませんでしたし、鬼がああやって生まれることも知りませんでした」




 それが全てであろう。


 嘘はないしこれだけ聞ければ充分であった。これ以上桃太郎が話をすることはないかに思えた。


 あったとしても、それはおこま達が知る必要のないことであると。


 ながら、桃太郎の話はつづいた。




 「蟻助は、身売りされたわたしを吉原へ運んだ女衒です」




 「
女衒……」雪路のそんな呟きが風に乗って聞こえてくる。


 薄々とは気づいていただろうが、雪路はまだはっきりと桃太郎の身の上を聞いていたわけではなかった。


 桃太郎は構わず話を進める。




 「わたしと一緒に蟻助に身売りされたのが、お春ちゃんと、お鈴ちゃんです。
  その二人ともが鬼になりました。
  それで、今朝の蟻助を見て、思い出したんです。蟻助は吉原へわたし達を連れてゆく途中の宿で、お春ちゃんになにかをしていたんです。
  わたしとお鈴ちゃんは外へ出されていたんで、なにをしていたのかは分からないのですけど……」




 「なにかって、お武家様それは――」




 「あい。女郎部屋へ売り飛ばす前に、買った女に手を出す女衒がいることはあとで知りました。わたしも、だから、ずっとそうだったのだと思っていました。
  でも、あの時連れられて、お春ちゃんは一番年上だったといえまだ十です。いくら幼児趣味だとしても幼すぎです」




 「お春ちゃんっていいますと、自分が京で襲われたときの……?」




 「あい。桜木のことです。桜木は、京の都でわたしにこう言ったんです。鬼となることを受け入れた、と。
  でも、それっておかしくないですか? 人は誰しも怨みや葛藤の中に生きています。でも、怨みが大きければ誰もが鬼になるわけじゃありません。
  それを、桜木は受け入れたと、自分は選べたのだといいました。
  そして蟻助のあの行動……猫鬼を生み出したあの液体が、人間を、生き物を鬼に変える元凶なのだとしたら、桜木の言った意味が説明できます。
  そして、蟻助は女衒です。遊里へ出入りは出来るといっても、遊女と自由に接触できるわけじゃありません。それに、蟻助が訪ねて来たからといって、お春ちゃんも、お鈴ちゃんも――わたしだって、顔を見せようともおもいません。
  ですから、蟻助がお春ちゃんやお鈴ちゃんにあの、色のついた液体を浴びせたのは、わたし達が吉原に連れてゆかれる前、だったんじゃないかって……」




 ここまで聞けば桃太郎の言いたいことは想像がつくというものだ。


 蟻助が鬼を生み出していることは、目的や手段は別として事実であり、蟻助に連れられた遊女の内、二人が鬼となった。




 「それはつまり、お前も鬼となることが可能であると、そう言いたいのか?」




 「分かりません。吉原への峠道、蟻助からなにかをされた記憶はないんですけど、わたしも、鬼の声を聞いたことはあります。そのときは、お姉さんのお陰で自分を保つことができました」




 正確には、絹月に対する桃太郎の誓いの強さが鬼を振り祓ったのだ。


 吉原の炎上から絹月の死。桃太郎が鬼の声を受け入れていたら、蘿蔔に命を奪われるまでもなく今の桃太郎は、ここにはいなかったであろう。


 しかし、人の心には必ず鬼は巣食っている。


 吉原にあれば尚のこと、その闇は深く、暗い。


 あの時の声が、蘿蔔や桜木を鬼へ変えたものと同じだという確信はないのである。




 「なんにしても、その蟻助ってやつをとっちめれば、こんな騒動は万事解決っちゅーことじゃね!」




 「「「?」」」




 大八車を走らせる雪路が急ぎすぎた結論を言い切ったものだから、荷台には一斉に疑問符が浮かんでしまった。


 おこまや松金さんが訂正をするのもおかしかろう。


 ここは、やはり桃太郎がしっかりと伝えるべきである。




 「――あ、いえ。わたしの目的は、雪路さんに銘を彫ってもらったこの『色斬絹月』を、今度こそ『保土ヶ谷誠次郎』様に受け取ってもらうことです。
  ただ、その前に鬼を退治しなきゃいけないみたいなだけで――だから、朝も言ったとおり、蟻助なんて男は別に、どーだっていいんです」




 「え……あ。そ、そうじゃね……」




 桃太郎は行きずりで鬼を退治してきたものの、なにも正義の味方でもなければ鬼退治を生業としているわけでもない。


 ただの遊女なのだ。


 それを、こうして直に聞かされた今、雪路になにも言うことはない。




 「がっかりしましたか?」




 「と、とんでもない! それに、桃太郎さまが普通の
女子なんじゃったら、それこそ自分のような頼りになる男が守っちょらんと!」




 「調子いいんだから」




 おこまは肩を竦め、広げていた薬やらなにやら、荷物の山を仕舞った。




 「まぁ、お武家様が万が一鬼になるようなことがあったら、あたいが力ずくでも太刀を奪ってもとに戻してあげるから、安心しなって。ね」




 桃太郎は、そのときはお手柔らかに、と笑った。


 とはいえ、ここにいる限り、桃太郎が鬼となることはないのである。


 おこまをはじめ、松金さんに雪路。この仲間と一緒にいられる間は、いや、たとえ
れになろうとも、桃太郎の心が哀しみや復讐心に囚われることはない。


 それでも桃太郎の顔色が浮かないのは、蟻助はなぜ、今頃になって、桃太郎の前に現われたのか、ということ。


 それも江戸近辺であればまだしも、こんな行く先も定まっていなかった旅の空。まるで桃太郎のあとを追ってきた。もしくは――




 「あの男、お前の行く先を知っていたかのようだったな」




 そう。この旅が絹月に見通されていたように、蟻助も、現われるべくして現われたと思えてならなかったのである。




 「もしかして、松金さんも、わたしがこれからどうなるか、全部おみとおしだったりして……?」




 ちょうど、おこまが雪路に、この先の漁村には薬屋はないか、など話しかけている隙をつき、
い見解をこぼして来る松金さん。


 桃太郎がしれっと流し目を送ると、「さて、どうだかな」といって桃太郎の隣へ腰を落ち着けた。



――――――――――


 一行が神戸漁村に着いたのは当初の予定通り
(0時)を迎えようとした頃であった。


 すでに漁村は全ての民家から明かりが消え、寄せては返す波のさざめきが、夜に沈んだような
茅葺屋根の連なりを幻想的に包み込んでいた。




 「まあ。そうじゃね……廻船問屋を起こすか、旅籠を起こすか……それが悩みどころじゃ」




 「どちらにせよ、いい顔はされんだろうがな」




 「ま、まあこれも桃太郎さまにあったかい蒲団で眠ってもらうがためためじゃ!」




 雪路がそういって大八車を引き始めたとき、荷台で仮眠を取っていた桃太郎ががばっと起き上がった。


 勢いに釣られて、隣で眠っていたおこまも目を覚ます。




 「あ、すまんです。起こしてしもうたですか……?」




 「お武家様、どうしたんだい……」




 雪路が申しわけなさそうに頬を掻くが桃太郎は答えず、目を丸くして辺りをきょろきょろと窺うばかり。


 大八車などで揺られていた所為で寝ぼけてしまったのだろうと、今一度車を引こうとした雪路を今度こそ、桃太郎は押し殺した声で停止させた。




 「待ってください! 鬼がいます……っ!」




 寝ぼけているとはいえ勘弁してほしい冗談である。


 雪路はぎくりと身を引き、桃太郎に倣って首を回した。


 眠気に目元を擦っていたおこまは冷静に桃太郎の視線を辿る。その目の先は、真っ直ぐ夜に静まり返った漁村へ向けられていた。




 「まさか……この村に?」




 「どこだか分かるかい……?」




 桃太郎のこの感覚は、おこまが身につけた気配や殺気を感じ取るものとはまた違う。


 そこに鬼がいることが分かる、というよりは、これから自分が鬼と出会うことに気づける、という危険予知に近い。


 そしてこんな感覚は初めてのことながら、桃太郎はまさに
鬼哭啾啾、呟いた。




 「どこっていいますか……たぶん、その集落中に…………」




 「「…………」」




 「どおりで、鬼がいるというわりには静かだとおもったな」




 言葉を失うおこまと雪路。どうせなら桃太郎も絶句しているという意味では同じ反応だ。


 松金さんがひとりで状況を分析している。



 その時であった。ばたん、といって集落で一番手前の民家から物音がすると、入り口の戸板ががたがたと揺れだした。


 それは子供が戸板を開けようとして
っているかのようだった。


 戸板の揺れは次の民家へ、また次の民家へと拡がって行き、やがては村中の戸板が振動に震えはじめたのである。




 卒然、雪路は大八車を引き全力で走り出した。




 「――う、うぉおおおおおおおおおおっ!」




 「ち、ちょっと! どうする気だい!?」




 桃太郎とおこまは慌てて荷台の縁へしがみ付いた。おこまの声に、雪路は速度を緩めることなく振り向くことなく、ぐらぐらと津波のように揺れる漁村を疾走してゆく。




 「このまま! このまま海岸の桟橋まで駆け抜けちゃります! しっかり掴まっちょってください!」




 大八車のあとを追うのか、次々と開いてゆく家屋の木戸。


 中からよたよたと歩み出てくるのは額から歪な角を生やした老若男女。その様子は今までの色鬼とは明良かに違っていた。


 目は虚ろできょろきょろと焦点が定まらず、足運びも覚束無い。


 まるで意識がない操り人形である。桃太郎達を追ってきている歩みすら、目を疑ってしまうほどの遅さである。




 このまま村を抜けて……抜けて……逃げる――仕方がない。


 わたしは、わたしの目的のためだけに旅をしてきただけ……仕方がない……でも、この人達は――――!?




 桃太郎はその中に見つけてしまった。


 それは、赤子。それも、四つん這いになって、這い歩くことがやっとできるようになったくらいの乳幼児であった。


 その子が、額から生やした角も重そうに頭を揺らし、虚ろな眼で捜すのは、目の前を歩く自分の母親――ではない。




 「雪路さん! 車を停めてぇえっ!!」




 ******!



 桃太郎の絶叫に、大八車を走らせる雪路はそれでも車のバランスを保ちながら、草鞋を滑らせブレーキをかけた。


 「ど、どうしたんじゃ!?」慌てて振り向くと、逸早く桃太郎が荷台から飛び降りているところだった。




 「も、桃太郎さま! 危ねーですけん戻ってください!」




 そこはちょうど集落を抜けた間際である。背後は石垣になっていて、その向こうは砂浜。雪路が目指していた伝馬船も眼と鼻の先に揺られて見える。



 桃太郎は雪路には答えず、迫る
の鬼達へ向け、敢然と『色斬絹月』を引き抜いた。




 「やるのか――?」




 「この村の鬼を退治します! 皆様方、ご尽力お願い申します!」




 「ちょ……桃太郎さま! この村の鬼って、いくらちいさい村じゃちゅーても、もし村の住人全員が鬼にされちょるんじゃとしたら、百人近くはおるけん、いくらなんでも無理じゃ!」




 雪路は大八車を回り込み、桃太郎の前に立ちはだかった。


 桃太郎は侍ではない。鬼を斬るのは目的の障害であり、たまたまそうすることが出来るからに過ぎない。


 それは桃太郎自身が言っていたことである。


 ならば、利を説けば、同情心から自らを死地に
すような真似はやめてくれると思った。


 雪路の考えはそのとおりである。そのとおりではあるが、それが桃太郎の全てではない。


 桃太郎は首を横にふって応えた。




 「わたしだって逃げたいですよ。でも、わたしが『色斬絹月』を手放してしまったら、あの人達は誰が救ってくれますか?」




 自分の失ったモンを埋められる力を……そして出来ることなら、誰かを助けてあげられるくらいの力を……




 「心配してくれてありがとう。
  でも村の人が百人いるなら、わたしが百回太刀を振ればいいだけですから!」




 「じゃ、じゃけんど……桃太郎さまは、本当は普通の
女子じゃないですか……」




 「あい! だから、守ってください!」




 桃太郎は先陣を切って駆け出した。


 鬼達の足がどれだけ遅いといっても、いつまでも会話を許してくれるほど甘くはない。


 近づいてきていた一番手前の鬼へと『色斬絹月』を振り下ろす。



 さらに鋭さを増した桃太郎の一刀に、耳障りな粘着質の音をたて、漁師ふうの男から纏わりついていた
の色が飛び散った。




 「うっ!?」




 色を失い漁師ふうの男が倒れると、桃太郎も飛び跳ねながら大八車まで戻って来た。


 勇ましく特攻をかけた
騰勢はどこへやら、その表情は一転険しいものとなっていた。




 「ど、どうしたんだい……」




 「油断しました……あの人達、ものすごく臭いです! っておこまさん、なんで荷台でのんびりしてるんですか!?」




 「あ、だって、あんな数だけののろのろ連中じゃ、松金さんもいるし、お武家様ひとりで充分かなって……」




 おこまがそんなことを言っているうちに桃太郎の肩がわなわなと震えだしたので、気合一発荷台から飛び降りた。




 「でもやっぱり鬼だね。油断は禁物だよ、お武家様!」




 「おこまさんには言われたくないです……」




 「おい、そんな漫才している場合じゃないぞ!」




 桃太郎が『色斬絹月』で祓った鬼はまだ一人だけである。村中から続々と集まり、民家の陰からじわり押し寄せてくる鬼達に、前方と左右から挟まれてしまった。


 背後は冷たい冬の海。これ以上の後退は逃げ道を失うことになる。




 「おこまさん、風を! 松金さん、左右の鬼を押し戻して! 雪路さん、そことそことここ! 縄をお願いします!」




 桃太郎は簡潔に指示を飛ばし、大きく息を吸い込み正面、鬼の群れへと再度突っ込んだ。



 たあぁーっ!



 心の中だけでの気合ではいまいちながら我慢する。


 おこまの言うとおり、ここの鬼達は数ばかりが多くて統率もなく、抵抗らしい抵抗もゆったりと腕を振り回してくるだけなので桃太郎ひとりでも充分対処することが出来た。



 手始めに前列の四人を続けざまに切り伏せ、飛び散った縹色に顔をしかめつつその後ろの二人を切り倒す。


 と、そこで桃太郎の呼吸が限界を叫んだ。


 辺りに充満してゆく臭気は眼が霞むほど。


 桃太郎が後退を考えたそこに、おこまの呼び込んだ神風が逆巻いた。




 「――っはぁあ!」




 立ち込める臭気が風に乱されているうちに深呼吸。


 神風の中では桃太郎もうまく動けないものの、『色斬絹月』の間合いにいる三人を両断。


 風が治まりつつある間際に呼吸を止め、今度は右足の踏み込みを支点に身体ごと『色斬絹月』を一閃。


 細い路地に
めき合う前から二列、五人の鬼を一振りのもとに切り払った。鬼に対してならほとんど抵抗なく相手を斬れる『色斬絹月』なればこそである。



 べとべとと
しく飛散する縹色の臭気に目を細め、そこに目的の相手を見つけた。



 ――ごめんね。



 桃太郎は『色斬絹月』を頂点から振り下ろし、足下にいた、赤子の色を祓うと抱き上げ、まだまだ鬼の迫り来る路地から引き返した。



 桃太郎が雪路に指示をしたのは、左右の鬼の進路と桃太郎が今いる路地の出口である。


 通路を形成する民家の壁と壁を利用して、三重に張られた縄をくぐり、息を切らしながらもみんなのところへと帰ってくる。




 「ただいま!」




 「おかえり――でもお武家様なにその臭い……ちょっと、羽織に移っちまってんじゃないのかい……?」




 鼻をつまむふりをし、手をぱたぱたさせるおこま。桃太郎はむっと頬を膨らまし、抱いていた赤子を大八車へと乗せた。




 「ななんてこというんですか。わたしの苦労を分かってくれるなら、これくらい辛抱してください!」




 「その子は……?」




 雪路の縄と松金さんの分身のお陰で、左右からの鬼は進行を
らせていた。


 力もなく、戸板すら満足に開けられなかった連中である。幾重にも張られた縄をくぐったり引きちぎったりすることはできないはずだ。



 荷台へと顔を覗かせてくる雪路に、桃太郎はちいさく
れた。



 「雪路さん、さっきはいきなり大声出してすいませんでした……通りを走っている時、偶然この子を見つけて、どうしても、ほおってはおけなかったんです」




 「そ、そうじゃったんか……あれ。でもおかしかないですか? 鬼になるには怨みや憎しみが必要なんじゃろ? この赤子が、人をそう憎んどるとはおもえんですけど……」




 「「――あ」」




 そうだ。なにも色を与えられたからといって、全ての人間や動物が鬼になるわけではない。


 幼い頃の蘿蔔や桜木が鬼にならなかったように、人間から蔑まされた経験をもたない、またはそれを理解できない者は、鬼になることはないのである。




 「つまりこの赤ん坊は、自分から鬼になることを選んだわけじゃない。ということは、誰かに無理矢理、鬼にさせられた――」




 「こいつ等は、文字通りの操り人形――それが本当の鬼の力ってわけだね。どーりで、鬼を斬っても臭気が消えないわけだよ。
  他の人間を操り臭気を振り撒く。これが鬼の攻撃手段だったのさ」




 「雪路、お手柄だ。この中から鬼の本体を暴けば、桃太郎にあと八十四回も太刀を振らせずに済むぞ」




 「大死一番!」




 雪路は右の拳を握り締め、どさくさに紛れて左の手を桃太郎の肩に乗せ、混じり気のない輝きを瞳に宣言する。




 「桃太郎さま! 自分がその本当の鬼を見つけます! だから、それまで少し待っちょってください!」




 言うが早いか二手でそばの茅葺屋根へよじ登ると、制止を呼びかける桃太郎の声も聞かずに、雪路は七日月のかかる夜空へ姿を消したのであった。




 「見つけて、お前一人でどうするんだ……?」




 「その前にどうやって捜すつもりなんだい……?」




 「あ、でも、雪路さん人捜し得意ですから!」




 『保土ヶ谷誠次郎』を知っていたことや、お春、という名前だけで桜木を見つけ出した一軒を評価する桃太郎ではあったが、今回ばかりは気休めにしかならない。


 なんとも
と思えてならなかったのであった。