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             五話 -



 雪路が消えて間もなく、桃太郎達もまた、屋根の上にいた。


 鬼の発する臭気は消えなかった。時間が経とうと風で吹き散らそうと、すぐに
いだし、徐々にその範囲を拡大してゆくのである。


 雪路が戻ってくるまでに少しでも鬼の数を減らしておこうかとも考えた桃太郎ではあったが、鬼を斬っても臭気に囲まれるのであればなにも事態は好転しない、とこうして臭いの届かない風上の屋根へ、逃げの一手をとったのだ。



 雪路が張った縄も、押し寄せる鬼の群れの圧力には耐えられず、いまや桃太郎達が身を寄せる民家の下には何十人もの鬼が
めき合っていた。


 壁をよじ登ってこようとする鬼は、おこまや松金さんが軽く小突いて落ちてもらう。




 「ったく。こりゃあまるで
死人の団体だね……」




 「人間の姿をして意識がないのだ。死人とそう変わりはない」




 「ふたりとも、あんまり怖いこと言わないでください。この方々は、ただのかわいそうな被害者です」




 桃太郎は腕に赤子をしっかりと抱き、当然と頷いた。溢れかえる
色の鬼達は桃太郎達以外には興味がないようで、気を失っている赤子は安全かに思えた。


 それでも念の為、といって一緒に連れて来ることにした桃太郎の判断は正解であった。


 なにも考えず、ただ
の如く詰め寄せる鬼の群れは、雪路の大八車を押し出し、石垣から突き落としたのである。


 あのまま残していたら、赤子の命も危ういところであったのだ。




 「松金さん、ここにこれだけの鬼が集まっているのなら、本当の鬼がこの中に紛れていた場合、わたし達で見分けることは出来ませんか?」




 雪路の帰りを不安視したわけではない。飽くまで、こうしている自分達にもなにか出来ることはあるのではないか、という提案だ。



 松金さんはいつもながらの困った表情で腕を組んだ。




 「俺様が人を語るのもなんだが、他人を使って攻撃してくるようなやつだ。道具として扱う群れに自分を紛れ込ませたりはしないだろう。それに気づいたからこそ雪路は飛び出したのかもしれん。
  前からこの漁村へ来ていた雪路には誰か、見当がついたのではないか?」




 「だったら、なにもひとりで行くことないのに……」




 少しだけ憮然とした様子の桃太郎へ、屋根に手を掛けた鬼を爪先で押し戻し、おこまは雪路の心理をずばり言い当ててしまう。




 「男ってやつは、惚れた女の前では格好つけたがるもんなのさ。そうむくれないでおいておやりよ」




 「だったら尚のこと。わたしを好いてくれるお人には、危ない目にあってもらいたくないんですが……」




 そういうことがしれっと云えてしまう辺りもまた遊女として養われた気質なのだろうが、残念ながら、雪路にあまり脈はなさそうである。



 そんな雪路の声が聞こえてきたのは、ひとしきりおこまがからからと笑い終えたときだった。




 「楽しそうにしとるところ悪いんじゃが、ちょっと、こっちに来て手を貸してはくれんですか……」




 虚勢。苦しげに吐き出された声は、夜の静まり返った空気の中だから聞こえたようなもので、昼間の喧騒ではきっと聞き取れなかったであろう。


 わらわらと群れる鬼達の後方から歩いてくる雪路は、縄で縛られたなにか――いや誰かを、重そうに引っ張っていた。




 「おこまさん、赤ん坊をお願いします。松金さん……」




 松金さんは分身を飛ばし、屋根と屋根の間に架かる猿の橋を作り出した。


 桃太郎は猿橋を渡り、次の屋根へ。橋を形成していた猿たちは桃太郎が渡りきると追い越し、次の橋を組み上げる。


 そうしながら桃太郎は屋根伝いに鬼達をやり過ごし、雪路の前に降りると橋役の猿たちは掻き消えた。




 「桃太郎さま……こいつ、こいつは自分とこの馴染の廻船問屋で、『
兎屋』っちゅうんじゃけど……すまんです。この騒ぎを起こした鬼は、この『兎屋』じゃった……」




 雪路の全身は、村の住人達と同じ
に染まっていた。額に生えようとしている角が伸びようとする度、雪路は歯を食いしばり、よろける足を踏みしめる。


 全身を侵食する鬼の力に意識を奪われまいと必死に耐え、雪路はここまで歩いてきたのであった。


 そんな雪路を桃太郎は正面から抱きしめた。



 今にも倒れてしまいそうな彼を支えたつもりの桃太郎なのだが、雪路は抱きしめてもらえたのだ、と錯覚したようだ。




 「も、もう……
大死一番(しんでもいい)




 こうして、幸福の内に再び気を失った雪路を路地に寝かせると、桃太郎は縄で縛られ連れられて来た男をキッと睨みつけた。




 「――ひぃ!」




 恰幅のいい、問屋商人を絵に描いたような男であった。


 鬼となって尚、常日頃より刻まれた
が、恵比寿様のような人懐っこさを前面に推し出しているのがまた憐れであった。


 全身を染めるのは、住人達よりもひとまわり毒々しい縹の色。



 雪路が倒れたことで、縄が離れた『兎屋』は、踵を返し、逃走する。


 桃太郎は黙って、足下を引き摺られてゆく縄の端っこを踏みつけた。



 がくん、と上体が引かれる容になり、重たく尻餅をつく『兎屋』。




 「ま、ま、待っとくれ! わしは
難波の商家に三男坊として生まれ――」




 桃太郎は縄の上を黙って歩く。




 「幼い頃から優遇されている兄達には苛められ、父には勘当同然で丁稚奉公へと出され、挙げ句の果てには神戸は寂れる一方で――」




 歩く。歩く。歩く。




 「そのくせ漁師どもはわしを余所者扱いしながら小金を貯め込んでいる、などとぬかし、金をせびりに来おる! だからわしは――」




 瞬間、『兎屋』の手や顔の色味が増し、目の前に迫った桃太郎へ向かって口から粘着質の液体を吐きつけた。



 ためらわず――



 桃太郎の振り下ろした『色斬絹月』は、身体の色と同じ色の粘着物質ごと、『兎屋』を断ち斬っていた。




 「あなたの生い立ちなんて、知りません! ああ、臭かった!」




 『兎屋』の色が地面に融け消えるのを待って、桃太郎は止めていた呼吸をようやくと再開させたのだった。



 屋根の上からあっはっは、と聞こえてきたおこまの笑い声は、報われない雪路を同情してのものだったろうか。


 なんにしても、これを
て一件落着とったわけである。



 雪路を含め、住人達の色も角も、漂っていた匂いも消える去ると、さわやかな潮騒の香りと共に、人々の目に意思の光が戻って来た。


 ただ、桃太郎が『色斬絹月』にて斬り伏せてしまった先の人々に関しては、『兎屋』と同じく気絶したままのようだった。



 桃太郎はぽかんとした住人達に「あなた達は悪い鬼に操られていたようです」と有りの儘を説明した。そして鬼は退治したので、今夜は安心して休んでほしい、と。




 「お武家様、はい」




 「あ。え……っと……」




 おこまは桃太郎へ抱いていた赤子を渡した。この赤子も桃太郎に鬼を祓われているため、安らかに寝息をたてているが、しばらくは目を覚ますことはないだろう。


 桃太郎は辺りを見まわし、すぐに何かを捜している様子の若い夫婦を見つけ、駆け寄った。




 「あの、もし。今、この子をお捜しではございませんでしたか?」




 「あ! ああ、私の子でございます! お武家様が助けてくれはったんですか……なんて、お礼をいったらええか……」




 赤子を受け取り、泣き崩れる母親。その肩を支えるまだ若い父親。



 胸が、微かに
いた気がした。


 桃太郎は一歩だけ後退し、「当然のことをしたまででございます」と夫婦の前をあとにした。




 「あの、もし! お武家様――」




 呼び止められ、逡巡するも立ち止まる。




 「せめて、お名前だけでも……」




 な、まえ……わたしの父上は……わたしの母上は……わたしに、なんと名を付けてくれたのでありんしょう――



 お桃、という名は育ての老夫婦からもらったものであることは知っていた。記憶にすらない生みの親。しかし成長するごとに身につけた常識は、自分にもそんな存在がいることを強制的に教導してくれる。


 会いたいとか、一緒に暮らしたいとか、ましてや恨んでいたりすることもないのだが、知りたい、と思わされてしまった。




 「お武家様ぁ!」




 路地の向こうで雪路を担いだおこまが手をふっている。足下には背中をみせる松金さん。桃太郎を急かしているつもりのようだ。




 「名は、桃太郎! ではこれにて!」




 桃太郎は夫婦に名を告げ、仲間のもとへと駆け出した。


 これでいいのだ。正直、今本当の家族が現われたとて、この仲間以上に大切に想える自信はない。


 自分は桃太郎である。たぶんこの先も、そしてその先も、桃太郎は、ずっと桃太郎のままである。



――――――――――


 海は凪いでいた。まだ見渡す限りが暗闇の景色ではあったが、桃太郎は出港した。間もなく陽は昇るだろう。



――――――――――


 伝馬船の
舳先で愛用の小田原提燈を掲げるおこまがふと提燈を異様に持ち上げたのは、淡路島との狭間、明石海峡を渡り、瀬戸内の海へと進行した頃のことだった。


 俄
かに上り始めた太陽が空を、波間を暗闇から青へと変える中、海の真ん中に、ちらちらと揺れるのような灯りが見えたのである。




 「お武家様、見えますか……」




 「なんでしょう。
不知火、というものでしょうか?」




 和船の後部で、
を動かしながら小首をかしげる桃太郎。船は『兎屋』の印が入っているものから、一番小型のものを拝借してきている。




 「もしくは、あたい等を歓迎してくれているのかもよ」




 「文字どおり、鬼火というやつだな」




 桃太郎はそれで
合点がいった。おこまと松金さんは、あの灯りこそが『保土ヶ谷誠次郎』のいる島を示しているのではないか、といっているのだ。


 桃太郎は
船底に横たわる雪路へ視線を落とした。


 何度か肩を揺すったり頬を叩いたりしてはいても、なかなか目を覚ます気配はなく、「道案内に連れてきたのに、ちっとも役に立ちゃしない!」「海へ頭でも突っ込めばいい」と、ともすれば実力行使に出ようとするおこま、松金さんをなんとか
め、ここまで来たのである。



 京を出てから目覚め、神戸漁村まで、大八車に桃太郎達を乗せたまま走りつづけたのち、鬼をひとりで捕縛した雪路である。その功を
う意味も含め、桃太郎は雪路を休ませておきたかった。




 「…………行ってみましょう」




 『保土ヶ谷誠次郎』がどうして桃太郎一行を手招いているのか。その意味を考えると不安で仕方がなかったながら、ここまで来て
怖気づいても、それこそ意味がないこと。


 桃太郎は海上の不審な
を追って、舵をとった。




 「お武家様、ちょっと漕ぎ役交替しようか?」




 「いえ。このままで。おこまさんは進路をよく見ておいてください」




 船を前進させる役割は大変であるが、夜間の航海でなにより怖ろしいのは
座礁、そして転覆である。


 特に瀬戸内の海は小島や
が点在しており、比較的波は穏やかながら、変則的な海流は時に予想もしない海難事故を呼び込むこともある。


 淡路島をぐるりと回った反対側。四国との間に発生した
鳴門渦潮は有名であろう。


 進路の安全確認は、海に慣れているおこまが適任と桃太郎は判断した。桃太郎達の乗るのはちいさな船とはいえ、その危険性は決して低くはなかったのだ。



 海上の
不審灯火を追いかけるように船を進める桃太郎は、やがて瀬戸内の海に浮かぶひとつの島へと案内された。


 不審な灯火は島の輪郭を確認した頃、島へ吸い込まれ消えていった。如何にも不審である。




 「ここに『保土ヶ谷誠次郎』が――」




 「なにを考えてわざわざこんな海のど真ん中に屋敷なんぞを……嵐でも来たらひとたまりもないだろうに」




 「鬼の根城だ。気を引き締めて上陸せねば」




 「鬼の……まさに鬼ヶ島、ですね」




 鬼ヶ島。古くは鬼の城ともいわれ、鬼が住む場所、つまりは地獄や修羅道など、現世との
狭間を指してそう呼んだ。


 文字通りの島であることもなく、内地であっても簡単には踏み入れない場所、という意味の比喩表現であったとも考えられる。


 だから『保土ヶ谷誠次郎』という鬼が住むこの場所は、桃太郎が言うとおり「まさに鬼ヶ島」だったのだ。



 さして広くもなく、生活環境には適していないかに思えたこの鬼ヶ島。近づいてみると浅瀬の砂浜に桟橋が架かり、ちゃんと船が停泊できるようになっていた。


 そしてそんな海岸線の奥。海から突き出した大岩だとおもったものが、半分から後尾を海面に沈めた大型の外洋船であったことに気がつき、ここが目的の場所であったことを再認識する。




 「間違いなく、俺様が乗ってきた船だ」




 出来るだけ岸へ寄せ、桟橋に着岸。
をしっかりと結び――結局、目覚めぬ雪路は置いて行くことになった。




 「ごめんなさい雪路さん。起きたら追いかけてきてくださいね!」




 「ホント何をしに来たんだい! お武家様がいなければ海に突き落としてやるところだよ!」




 「桃太郎がいなかったら、そもそも俺様達がここへ来ることもなかったのだろうがな」




 桟橋を渡ると砂浜の向こうに岩盤を削って作られた石階段がみえた。


 階段の入り口には
石灯籠が立ち、先ほどの不知火にも似た、ぼんやりとした灯りが潮風に揺れていた。


 階段は昇るにつれ大きく右へと弧を描き、丘の頂上へと導いている。


 桃太郎達は警戒しつつ、桃太郎、おこま、松金さんの順に石段を昇っていった。




 「もうこれは必要なさそうだね」




 おこまが手にした提燈の火をふっと消した。


 だいたい十歩間隔で設置された石灯籠が、先頭の桃太郎が近づく
に不思議な火を灯していったからだ。



 「御親切なことで」肩をすくめるおこまの眼差しは険しい。



 石階段を上がりきると、丘の上はきちんと整地された庭園のようであった。ここから望む、朝を迎えようと青く染まり行く海岸線は絶景であったが、今は景色を楽しんでいる余裕はない。


 石段から続く石畳を、灯籠に案内されるがまま歩いてゆく。




 「そういえば犬女――」




 石畳の庭園に入ると松金さんが声をかけた。すぐに自分のことだと気がついて、おこまが握り拳を震わせる。




 「あんたね……今まで旅して来てもまだそれかい!?」




 「そうですよ松金さん。ちゃんと、おこまさん、って呼んでください」




 「ふん。おこま、今更なのだが、お前。京で調べてきたことを、まだ俺様達に報告していないのではないか?」




 おこまに
まれたから、というより桃太郎にめられ、本当に今更なことを口にした。


 京での聞き込みは、大まかにいえば『保土ヶ谷誠次郎』の行方調査である。そんな彼がこうして島へ招いてくれている以上、おこまの話を聞こうが聞くまいがさほどの意味はないと思える。




 「なんだい今更。そうやってあたいの無駄足をからかおうって魂胆かい!? いやだいやだ、陰険な猿なんて!」




 とかいいつつ。桃太郎と松金さんはおこまへと視線を逸らさず、寸の間をおけば、




 「……どーせ、あたいが調べた中にも『保土ヶ谷誠次郎』の特定につながる情報はなかったわよ。ただ、あたい等が京洛入りする半月くらい前、三条大橋に鬼のような角を生やした侍、を見たって人が何人かいたくらいで」




 素直に話してくれる。おこまとはそういう娘である。




 「あと御免、お武家様。「犬神」の墓所は、京の都にはなさそうだ、ってことしか解らなかった……」




 そういえば、京へ行く前、おこまは「犬神」の御神体が見つかるかも、と意気込んでいたことをおもいだした。やはりどうしても、桃太郎へ「犬神」をおしつけてしまっている現状を気にしているようだった。



 悄然と頭を下げるおこまに、桃太郎は今の言葉を噛み締めながら首をふった。




 「「犬神」様――ワンちゃんのことは、この一軒が済んでから考えましょう。それに、ワンちゃんが気を遣ってくれてるのか、緊張の所為か、はじめの頃より空腹は落ち着いてきましたから、大丈夫です。

  それより、京にいたという角のある侍が『保土ヶ谷誠次郎』だとして、半月前ならちょうどわたしが江戸を旅立った頃です。『保土ヶ谷誠次郎』は、わたしが来ることを、最初から知っていたのでしょうか……」




 「それはもう、ここまで来たなら――」




 松金さんが、答える代わりに桃太郎の視線を促す。


 見上げる先に、燃え上がる不気味な
篝火。焔の舞に照らし出され、かな薬医門が浮かび上がった。




 「下手に予想するより、本人に直接訊ねてやりましょ!」




 
う事なき『保土ヶ谷』邸。


 遠く、遠江で訪れたものと寸部違わぬ武家屋敷が、鬼ヶ島には建造されていたのであった。