トップへ戻る 

    終話
【桃太郎ちゃんの伝説】



 昔々、美しく、勇気に溢れ、義理人情にも人一倍厚く、ただちょっとだけ大喰らいなお武家様が、犬、猿、キジ、のお供と共に、鬼を退治して回ったと。


 そんな言い伝えがいつからか民話となって、諸国に語り継がれていったという。




 「お武家様。
温羅、って、知ってる?」




 「――あ。そうでした。いつだったかおこまさん、そんな名前を言ってましたよね?」




 「それにしても、本当によく食べるもんじゃね。自分も、一本もろてえーですか?」




 「ちょっと黙っててください、雪路さん――はい、どうぞ。それで?」




 「ううっ。怒られてしもうた……団子もらえたけど」




 「うん。温羅は、その時も言ってたとおもうんだけど、大昔、それこそ日ノ本がまだ国としてまとまっていなかった頃の時代、雪路さんのご先祖様と同じ、
百済って大陸の国から渡った豪族なんだけど、日ノ本に製鉄技術を伝来したという反面、この国で、最初の鬼として名前が伝わっている人物よ」




 「最初の――鬼……」




 「製鉄は、どうしても山を開き川を汚すからね。それが、古代の人々には恐ろしい鬼の所業に見えたんでしょうね」




 「…………」




 「それで、鬼とされた温羅を討ち取ったのが、
吉備津彦命っていって、その時代の日ノ本を収めていた崇神天皇の息子で、孝霊天皇の子であり、四道将軍っていって――」




 「…………………」




 「おこま。その程度で勘弁してやれ」




 「――あ。御免……だからね、温羅という有力豪族を討ち取ることで当時の朝廷権力を
磐石にする。温羅はそのための生贄と選ばれたんじゃないか、なんて捕らえ方もできる話なのね」




 「いつの時代も、権力者ちゅ、
のすることは、えげつないもんじゃ……」




 「それで、おこまさん。その話の続きは?」




 「うん。それでこれは温羅の話には語られてはいないんだけど、温羅には、
って妹がいたんだって。
  桃姫命と吉備津彦命は愛し合う仲になり、遂には温羅を罠に嵌めてその首を討ち取ったみたい……」




 「…………」




 「…………」




 「…………で、なんでみんなわたしを見てるんですか?」




 「――っとまぁ。お武家様の話を聞いて、ちょっと思い出しただけ。気にすることないわ」




 「温羅の、妹を奪われた
妄執と、保土ヶ谷誠次郎の妹を想う優しさがかれったか。そういうことも、あるのかもしれんな」




 「………………」




 「この
吉備路にはそんな伝承の残る場所がいくつもあるんだよ。ほら、あの鬼城山は、温羅が居城にしていたといわれる山だし、この先を行った所には、その名もずばり、吉備津神社だってあるんだ。お参り、してこうか?」




 「…………」




 「…………」




 「……寄りません。桃姫命も温羅も吉備津彦命も、わたしには関係ありません。わたしは、お腹いっぱい吉備団子が食べられただけで満足です!」




 日本一の桃太郎。日本一の笑顔で大いに笑う。



 桃太郎にも『色斬絹月』にも
温羅無(裏は無し)



 澄み渡る青空に、いつもと変わらぬお天道様が昇った、うららかな午後であった。




 赤鬼――
蘿蔔


 移転後の江戸浅草・新吉原においても娼妓を務めたが、三年後の
万治二(1659)年。い、二十という若さでこの世を去った。


 新吉原での評判は上向きで、多少の器量
しも愛嬌だと、一時は「散茶」「座敷持ち」も夢ではないかと噂されるほどであり、彼女の享年は、とても充実したものであったという。



 黄鬼――
は身を寄せた北村の人々の献身的な介護の結果、奇跡的に体力も回復。畑仕事を手伝ったり、時には狩りを習い、読み書きが出来たことから近隣の子供達に寺子屋の真似事のようなものを開いてよく親しまれた。


 ところがそんな噂が広まり過ぎてしまい、見回りに来た役人に投獄されてしまう。


 村人の必死の訴えにより死罪を免れた鞍右洲ではあったが、
肥前の国、出島と呼ばれた異国民の閉鎖施設へと移封が命じられる。


 禁教令下での生活は決して楽ではなかったが、鞍右洲は生涯帰国することなく、この国での天寿を全うした。



 江尻の庄屋に引き取られた青鬼――
彦九郎は、今までの荒んだ生活と父親の汚名を返上するべく一生懸命に働いた。


 その仕事ぶりと才覚を見込んだ庄屋は彦九郎を知り合いの医師に養子にどうかと持ちかけた。


 こうしてちいさな漁村を離れることとなった彦九郎は医師の下、様々な知識と技術を吸収し民集に慕われる立派な医学者になったということである。



 駿府城下にて桃太郎を襲った鈍色鬼――名を
牧野清乗といい、数日前、ある道場での剣術試合中に打ち込んだ木剣が相手の脳天を直撃。その相手を不慮の死に追い遣っていた。


 試合中の出来事であり御
はなかったが、清乗は自責の念に苛まれていた。そこに来て城下での騒動である。目覚めた清乗は自身の乱心を素直に認め、自分を斬った若武者はきっと仏の化身であったのだと改心。


 五年後出家し、
曹洞宗正信の僧となった。本尊である千手観音のような数多の救いの手を持ち、さしのべることにその生涯を捧げることとしたのである。



 緑鬼――その一件で自らの至らなさを痛感した
桜木は、これまでの努力に更に輪をかけた修練を己に架した。言うまでもなく、それはに桃太郎へのライバル心からであった。


 ある時ふと気がつく。


 自分は今まで
夕凪太夫に認めてもらいたい一心で娼妓に励み、今は桃太郎に負けたくない気持ちだけで技を磨いている。


 自分は、相手となる客をなにひとつ気にかけていなかったのだということを。


 相手を見ていない者の舞など、相手からも見てはもらえないのだと。


 それに気づいてからの桜木は変わった。舞や三味線もそつなくこなす。それでいて気遣いと
わりの気持ち、また娼妓としての気位を兼ね備えたその姿は、夕凪があの時桃太郎に見た「安心感」と、酷似したものであったのだという。


 ついには嶋原遊郭の「太夫」にまで登り詰めた桜木と、これから二百年先の幕末、桂小五郎、伊藤博文らからの寵愛を受けた維新の名妓・桜木太夫との関係は不明である。



 摂津の鍛冶屋に引き取られた白鬼――四匹の猫は、事情を説明されたお
の亭主の計らいにより、結局四匹全てがお郁の家で飼われることとなった。


 まさかまさかの猫好きにお郁も驚いた。
時雨美雪、が雌であり、が雄であったため、四匹は子宝にも恵まれ、大変多くの子孫を残したということだった。


 また、縹鬼――神戸の『
兎屋』も、この一軒を経て住人達の優しさに触れた主人はむことなく、むことなく、意欲的にちいさな漁村の発展に務めた。



 黒鬼――
保土ヶ谷は断絶、御取潰しとなるだろう。当主であった誠次郎を含め、家人の失踪、嫡子不在がその正当なる理由である。


 桃太郎が家名を相続することは出来なかったのか? 誠次郎直筆の書面でも見つかったのならまだしも、もともと生まれてさえ来なかったことにされた桃太郎にそれを証明することは不可能であった。


 この当時、大名の統制によって御家断絶となった諸大名は五十八件にも
る。保土ヶ谷の家も、その中のひとつに数えられるだけのことである。


 誠次郎直筆の、「桃太郎へ
家督を譲り渡す書面」でも見つからない限りは。




 桃太郎――




 桃太郎の旅は、これにて終幕となったのだろうか。




 ここで云えることは二つだけである。




 ひとつは、現存する最古の万時元年版
吉原細見(遊女の妓籍を記した小冊子)に、桃太郎という名の娼妓はいないこと。



 そしてもうひとつ。




 桃太郎は、空も、時も、越えて、これから先も生きてゆく。






         ……めでたし めでたし。