二話 -6
ざわり震動が、屯していた男達の端から端まで漣のように広まってゆく。
「……っ!?」
苦悶の表情を浮かべ、最初に声を上げた眉のない男が、雪のない地面に顔を埋めた。
この男の運が尽きたのは、おこまの隣に立つ若い侍に「おうあんちゃん、手前はおこまのなんやねん」と声をかけた所為だ。
「――なんで突然関西弁なのさ!」
「え、そこ!?」
***!!
思わず、首の痛みも忘れて突っ込みを入れてしまった桃太郎。
声にならない呻きと共に、男につづいて崩れ落つ。
「ち、ちょっと待ってください、姉さん! あっし等は別に――っ!?」
集団から踏み出し、倒れた仲間に駆け寄ろうとした男の運命もそこで終わる。
おこまの踵が男の顎先を左から右へと薙ぎ払った。
「誰があんたの姉さんだ!」
おこまがこの場に現われて僅か数分。すでに三人の若い男がその足下に横たわっていた。
再びの動揺が波のように広まってゆく。
おこまは桃太郎を巻き込まないようにと、臆せず進み出、ざっと仁王立ちになる。が、桃太郎もまた、おこまの威圧感を演出する背景の一部であったことには変わりがない。
「や、やべぇ……逆鱗がどこにあるかまるでわからねぇ」
「味方まで容赦なしかよ……なんて女だ……」
感想を口々に囁きあう男達も、おこまのひと睨みで次々に居竦んでゆく。
周囲は割と早い段階で静寂に包まれた。
ぱちぱちと、松明の時折爆ぜる音だけが聞こえる。
「来ているんだろ、出てきなよ巽!」
ようやっと桃太郎が気力を持ち直し、顔を上げると、傲然と並み居る男達を俯瞰するかのようなおこまが、頼もしい背中を見せつけていた。
そうはいっても今の首の痛みはおこまに引っ掛けられた感が強い。
なんとなく憮然としたものを抱えながら視線を集団の方へと移動した。
「若頭、こちらです!」
しんと静まり返った集団の、奥の方からざわつきが徐々に近づいてきていた。
桃太郎、おこまが見詰める中、先頭の男衆が道を譲ると、そこには、渋い藍染の羽織を着用し、見目整った美青年が立っていた。
「おやまぁ」
細身ですっと通った鼻筋、薄い唇、きりっとした眉。
切れ長の目つきは少し強面だが、そこがまた男らしくて、隠していた乙女心を擽られてしまう。桃太郎は正直に声を漏らしていた。
髷は結っておらずザンバラなのだが、短く毛先を切り揃えられた髪型は、不思議と不潔な印象を持たなかった。
諸大名の自治に従うを良しとせず、独自に結成された青年団である「黄槇組」の二代目若頭・槇原巽。
なるほど。桃太郎に出会う前、おこまが声をかけたというのも頷ける。
「巽! あんた、こりゃいったいどういうつもりだい!?」
――っておこまさん、呼び付け!?
桃太郎は瞠若した。仮にも自分から声をかけ、お客になりかけた相手である。
職業が真っ当ではないからと逃げ出し、さらには名前を呼び付け。
おこまの度胸に感服してしまう――が、どうにもそれは、おかしすぎるのではないだろうか。
たとえばおこまは、名前を名乗っているにも関わらず、桃太郎のことを「お武家様」と呼ぶ。
では、声はかけたものの、実際には身体を預けてもいない男のことを、名前で呼んだりするだろうか。逆に、他人行儀になるところではないか?
これではまるで、古くからの知人のようではないか。
「ようおこま、捜したぜ。見ろよこの顔ぶれ。笑えるだろ? 全部おまえを迎えにくるために用意したんだぜ」
しゃべると地が垣間見える。どんなに整った顔立ちをしていても、無法のゴロツキ達を束ねる立場に立つ男、で間違いないようだ。
「まったくだね。女一人を迎えにくるのに、どんだけの野暮だい。情けなくて泣けてくるね!」
「まぁ、そういうなよ、おこま。おまえはそれだけの女だってことじゃねぇか。それで、どーする? 自慢の腕っ節で、ここにいる全員を相手にするかい? それとも、またいつもみたいに逃げ出すかい?」
いつもみたいに? 迎えって……
桃太郎はおこまと巽の只ならぬ会話に耳を傾けつつ、話の流れから、このあとの展開を予想し、背筋を冷やした。
つまり、巽という男がここに来た目的とは――おこまの決めるであろう判断とは――
「あんた……村の者には手を出しちゃいないだろうね?」
おこまは背を向けたままなので、その表情は分からない。
けれど言葉に詰まった一瞬、少しだけ、項垂れたような気がした。
「おいおい、黄槇組は堅気に手を出すほど落魄れちゃいねぇよ。でも、おまえの連れには、どういう女に関わったかって、身の程くらいは教えてやらねぇとな」
そういって巽の鋭い視線がおこまから、後ろの桃太郎へとすっとずれた。
刹那。おこまの手が伸び、巽の首を鷲掴みにする。
「――巽。あんた、死にたいのかい?」
おこまの表情は、やはり桃太郎には見えなかった。
口ぶりは、溜息交じりであり、これまでとさほど変わらない気がした。
しかし、恐怖に目を剥く巽の崩れた顔を目の当たりにしてしまい、桃太郎は「犬神」のそれとは違うけど、これもまた憐れだと感じた。
桃太郎はそこで確信する。この二人はやはり、並々ならぬ関係であると。
巽の視線が、強制的に桃太郎からおこまへと戻される。
「じ、冗談だよ、おこま。たとえ侍でも、手なんかださねぇよ……」
震える声と巽の恐怖を納得したのか、おこまは首を掴んでいた手を引いた。
そこで、わずかばかり残っていたのか、巽は若頭としての意地をみせる。
「……まぁ。全てはおまえ次第だけどな――おっと!」
両手で降参を示す巽。
おこまに睨まれでもしたのだろう。
そして、黄槇組の男衆が煌々と掲げる松明の明かりの中、桃太郎は背中からでも分かった。
おこまは確かに頷いた。
「――そ、そうだよな。ここまでの組員を動かしたんだ。ちったあ俺の顔も立ててくれるよな! おう野郎共、帰ぇるぜ!」
即決即断、行動も迅速で統一されている。
ある意味気持ちがいいくらいだが、桃太郎はそんなところに目を向けている場合ではなかった。
巽の号令を受け、おこまが気絶させた二人も担ぎ上げられ、ぞろぞろと引き返してゆく黄槇組の男衆。
桃太郎に背を向けたままのおこまは、変わらずそこに立ち尽くしていた。
おこまが動き出すのを待っているのか、巽もその傍にいる。
「そう――」
おこまは軽く夜空を仰ぐようにする。深く吐き出された息が、白く中空に消える。
一時を待つようにしてから、おこまは振り返った。桃太郎には、彼女の思草が涙を堪えているようにしかみえなかった。
「巧くはいかないってさ。御免ね、お武家様。一緒に行けなくなっちゃった――」
「――おこまさん!?」
けれど、駄目だった。
無理矢理に押し込めたかに思えた涙は、別れの言葉も最後まで口にさせず、おこまの頬を、止まることがないのではないかと心配になるほど流れて落ちた。
「ちょっと待ってください!」
おこまは歩き出していた。
再度桃太郎へ向けた背中に、さっきまでの威勢などは露もなく、悄然と萎れ、幽鬼の如しであった。
桃太郎は声をあげ、駆け寄った。それは、おこまを連れるように歩く、巽へと向かって。
「あの! ど、どうしておこまさんを連れて行かなきゃならないんですか!? おこまさん、こんなに嫌がって――!?」
卒然、桃太郎は腹部に衝撃を受け、雪の街道を転がっていた。
「巽ぃっ!!」
「おいおい! 今のはこいつが先に突っかかって来たんだろ!?」
桃太郎は唖然とし、雪解けの泥に塗れた身体を立て直す。
どうやら、今のは巽に腹部を蹴り飛ばされたようだ、と理解する。
「それに! おまえは嫌がってなんかいねぇよな! なぁおこま!?」
おなかが痛い。生理の日のズキズキする痛みとは違う、ひり付くような熱い痛さだ。
首も痛い。転がされたときまた、無理に動かしてしまったようだ。
両手の皸は、痛いのか冷たいのかも判らないくらいだ。
総じて全身が痛みに悲鳴を上げているような気分になって、吐き気がする。
「!? お、お武家様ぁ! 御免ね! 御免ね!」
「おら。あんまり面倒かけさせんなよ!」
吐き気は、転じて嫌悪感を呼んでくる。
嫌悪感は心で苛立ちとなり、苛立ちは冷静な判断を奪い去った。
判断力を欠いた脳は、単純な行動に身体を駆り立てる。
桃太郎にとって、もっとも単純で、おこまを助けられる高確率な手段とは――
このまま、何事も起きなければ、一体どうなっていただろうか。
桃太郎の怒りはおこまの腕を引き摺る巽へと向かい、その手は『色斬』の柄を握り締めていた。
「ちょっと待てってぇ――っ!」
「チョット、マッテクダサーイ!」
「はあっ!?」
あまりといえばあまりのタイミング、あまりの物言いに、桃太郎は怒りを剥き出しにして声の主を睨みつけた。
それはもう、巽の前に、血祭りにあげてやろうかの勢いで。
相手を目にした動転が、カッと血の上っていた頭を急激に覚ましてくれた。
男は異国の風貌をしていた。
髪も髭も、色は輝くような金色で、一応は髷のようなものが結わえてはある。
顔の造形は彫が深く、陰影はっきりとした目鼻立ちが、舞台に使う能面のような印象を与えていた。
年齢は、正確なところは判断できないが少なくとも若くはない。股立を取った丁稚のような着こなしが、まるで似合っていなかった。
それと、これは民族的特徴ではないのだろう肌の色が、鮮やか過ぎる黄色で、額からは、左右歪な、二本の角が生えていた。
ああ。また鬼だ――
桃太郎は直感した。さっきから自分の心を忙しくしていたものはこれだったのだと。
鬼が来ることが分かる能力。それが、鬼か人かを真っ先に見抜く能力。
この力が『色斬』を手にしたことに依るのか、それとも絹月の思念がそうさせるのかは知らないながら、あまり好ましい力ではないと感じてしまう。
「タツミサン、ボクヲオイテユカナイデクダサイ!」
「……鞍右洲?」
立ち止まり、首をかしげる巽。
鞍右洲、と呼ばれた鬼は巽の前までよたよたとした足を運び、膝に手をついて肩を上下させた。
様子の異変に気がついた男衆も、立ち止まり、口々に鞍右洲だ、鞍右洲が帰ってきたぞ、と顕著な動揺を示している。
「鞍右洲、おまえ、いったいどうした……病は、善くなったのか?」
「タ、タツミサン、ボクヲ、モウオイテユカナイデクダサイ……」
**!
ばちん?
鞍右洲が膝から手を離したとき、なにかが弾けたような音がした。
桃太郎は首をかしげ、必然的に、脳裏には蘿蔔の顔を思い浮かべていた。
蘿蔔の、般若のように歪んだ真っ赤な顔を。
巽も、おこまも、男衆も、そのちいさな音に気がついた者はいなそうであった。
桃太郎以外の誰もが、鞍右洲がここに現われたこと、それだけに頭が奪われている。
「あ、ああ、悪かったな。鞍右洲。おまえの病が酷いと聞いて、心配していたんだぜ」
巽が、何気なく差し出した手を、鞍右洲はむんずと掴んだ。
「タツミサン、アナタガ、ボクヲステテコイッテ、メイレイシタンデスヨ! ボクハ、ゼンブキイテイルンデスヨ!」
******!!
何も起こりはしなかった。
表面的には。
声もなく、異常に身体を海老反らせた巽が、鞍右洲の手が離れると同時に崩れ落ちただけだった。
ただ、桃太郎には見えていた。巽の手を握る瞬間、鞍右洲の身体の黄色が、ぶわっと色味を増していたこと。
人知を超えた鬼の力。桃太郎がそれを目にしたのはこれで二度目となる。
「わ、若頭ぁ!?」
「く、鞍右洲! 手前ぇなにをしやがった!」
この中に、状況を把握できている者が何人いるというか。
そんなことは関係ない。組のトップがやられ、黙って見ていることが出来なかったのだ。
どっと押し返して来る黄槇組の男衆達、その数三十人はいるだろうか。
彼らと鞍右洲のつながりとは如何なものだったのか。中にはすでに、短刀や刀を手にしている者もいた。
「ミナサン……ドウセミナサンモ、ボクノコトヲ、サイショカラウトマシクオモッテイタンデスヨ!」
鞍右洲は悲鳴に近い声をあげ、迫る黄槇組の男衆へ、大雑把に両腕を突き出した。
全身の表皮を覆う黄色が発光する。
けれどそれは闇を払う光ではなく、黄色味が強まった内部発光だ。
光は身体を移動し、両腕へと集中する。そして――
桃太郎は耳を塞いだ。
*****************!!
数万ボルトの放電。迸る光の帯が、はっきりとした流れを闇夜に刻む。
帯が襲うのは刀や短刀といった鋼を持つ者から。
それらを真っ先に抜き放った者は、真っ先に帯の餌食となったのだ。
たとえ手にはしていなくても、ある者は腰に、あの者は懐に、忍ばせたり所持をしている者は、そこから流れてきた電流に身体を貫かれていった。
なので光の帯の直撃を受けた者はそういなかったはずだ。
一回の放電で倒れたのはせいぜい十人ちょっと。黄槇組の男衆はまだ二十人近くが残っている。
それでも、閃光が治まった静けさが耳に痛く響く闇夜、鞍右洲へと向かってくる足音はひとつもなくなっていた。