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          三話 - 


 
箱根(はこね)の峠道は険しく、息が切れるものだった。


 そうはいってもここのところ晴天に恵まれているお陰か雪も少なく、噂に
聞くほどではないと感じた。人の往来もわずかながらあり、確かに道は狭い
が東海道よりも行き来は激しいのではないかとすら思えることもあった。


 おこまを追って黄槇組の
男衆(おとこし)が現われることも、それ以外の盗賊や
暴漢に絡まれることもなく、旅は順調に進んだ。


 峠の途中、北村よりは幾分か発展した集落に立ち寄り、桃太郎は団子を購
入した。


 どうにも今日は腹が空いてしまう。まだ昼前だというのに、道中それをパ
クつきながらの歩みにおこまは微笑ましい光景でも見るかのように笑ってい
た。


 そうして昼を少し回った頃、ようやく宿場町らしい町並みが見えてきて、
二人はほっと肩で息をついた。




 「よかった。これでようやくお昼にありつけますね!」




 「はぁ? まだ食うのかい。太ったって知らないよ」




 「そ、それは……いつもそんなに食べるわけではありません。まぁ、なん
にせよ、あそこが東海道一の難所といわれる箱根の関ですね」




 「いや。
三島(みしま)宿だよ」




 「――は?」




 
箱根(はこね)(せき)といえば、数ある関所(せきしょ)の中でもくぐり抜けるため
の審査が厳しいと有名な難所である。



 大概
(たいがい)
は治安維持の名目で、上方から江戸へと持ち込まれる品物に厳
重な検査と、送付されている通行許可証の真偽を確かめられるのが
(おも)
が、江戸住まいの大名や武家が、税金逃れのため、妻子を江戸から地方へと
身を移させる「
()(おんな)」という不正が頻出しており、身分査証や男装
を見破る「髪
(あらた)め(人見女)」という女性の検分役が常駐していること
でも有名であった。


 つまり、武士に扮している桃太郎にとっては、言葉のとおりの難所にな
る、はずであった。



 おこまの返答に目を
(しばた)かせる桃太郎。三島宿は、そんな箱根を越えた
次の宿場町である。




 「――箱根の関は?」




 「箱根ならさっき越えてきたじゃないか。お武家様がお団子を買っていた
あの……」




 「え……っと、だって関所は!?」




 「関所だって通り抜けて来ただろ。ああ、門番がいなかったから、気がつ
かなかったかい?」




 今更なにを言っているのかといわんばりのかんばせであるおこまへ、続け
て噛み付こうとした桃太郎はふいに、こんな遣り取りが以前にもあった気が
した。


 眉を吊り上げる。




 「もしかして、知っててやってますね……?」




 桃太郎の知らないことを、さも当然のように振舞いながら、そういう実は
からかっている。常識を笠に着た子供騙し。絹月にやられていたからかいと
同じだ。




 「関所なんてモンは、戦乱なんかのときの備えが、いまだに取り払えず尾
を引いてるだけなんだよ。現に、
(かつ)ての「織田(おだ)」も「豊臣(とよとみ)
も関所を撤廃しようとしていたし、今の幕府にだって関所廃止の動きはある
んだ。それに、平民の生活は単純じゃないからね、たったひとつの規則でな
んか測られちゃあお
(まんま)食い上げさぁ。
  だからこういう脇街道には、ああやって、宿場ぐるみで関通しをさせて
くれるような場所もあるんだよ」




 おこまの常識と、桃太郎の、廓に出入りする町人やら武家やらから得てい
た知識とは、
一概(いちがい)に違っているとまではゆかないが、明確なズレがあ
るらしい。


 桃太郎は街道を歩く他の人影を見渡し、声を潜めた。




 「でも、それって違法なんじゃないですか?」




 「そうね、合法ではない、ってところかな。どうせ、幕府がそれを知った
ところで御
(とがめ)を受けるのはあたい等じゃない」




 おこまの言うとおりなのだとおもう。桃太郎はそこまで生真面目な性格を
していない。吉原での作法や規則を身体に叩き込むのも苦労した方だ。


 もちろん人に迷惑をかける規則違反はいけないとしても、日々の生活があ
るのなら、仕方がないことだということも判かる。



 それでもどこか浮かない表情の桃太郎に、おこまはさらに言葉を続けた。




 「まぁ、人にも法にも御優しいお武家様だから、こういった不正行為は気
になるんでしょうけど、安全に箱根の関を抜けられる裏技があるんなら試し
てみたらどうだい。でも、男装が直接罪にはならないけど、身分を偽っての
関所破りは
(はりつけ)獄門(ごくもん)だよ、それくらいは知っているだろう?」




 「そ、そういう意味でいったんじゃありません!」




 おこまの人を絵に描いたような言い方が勘に障り、桃太郎はツン、と遠い
お山の方を向いてしまった。



 おこまの言う裏技が、桃太郎にはあったのだ。


 普通関所を抜けるためには大名や老中の
(はん)(かん)が押された「通行手
形」が、女性の場合は「
(おんな)手形(てがた)(御留守居証文)」という特別な
手形が必要になる。とはいえ女性は手形の発行審査が面倒であったため、桃
太郎のような男装をして関所抜けをする者も多かった。



 箱根関の「出女」検分を知っていた惣吉が、桃太郎のために用意した手形
は「女手形」であった。それも、「
書替手形(かきかえてがた)」と呼ばれる特別な
手形であり、これは
()()()(まい)りを行う者に対し、幕府が直接発
行する手形であり、持つ者は幕府があらかじめ
(かん)()を行ったとされ、
手続きを省略されることになるのだ。


 たった二日でこんなものを用意した惣吉の手腕は賞賛に値する。陰で、決
して少なくはない金額が動いていたことは想像に易いはずである。



 惣吉さんの苦労が、無駄になってしまいんした。



 これがあれば大丈夫だから! と
(きも)()りをしてくれた惣吉の顔を思
い出し、心馳せ胸を痛める桃太郎であった。



 三島宿では昼食に
(あった)かい蕎麦を(すす)り、二人は旅路を進めた。


 まだまだこの旅の先は長い。惣吉の心遣いが陽の目を見る機会もあるだろ
うと、桃太郎は用意していた手形を手荷物の奥へと押し込んだ。


 旅すがら、歩きながら
(つま)める団子を買っておくことも忘れなかった。



 箱根峠を越え、日が昇っては落ちること
(ふた)巡り。


 桃太郎とおこまは
駿河(するが)(くに)を歩いていた。駿河といえば、なには
なくともこれがなくては始まらない。




 「ご覧よお武家様! 富士のお山が見えてきたよ!」




 タイミングを見計らって、おこまが絶景かな! と叫んだ。




 「み、見えてますよ……っ、いきなり大声出さないでください……」




 
(きつ)(ぜん)(そび)える(れい)(ほう)()()


 云わずと知れた日本一の標高を誇る霊山である。
(はく)(がく)(がく)と雪降
り積もるこの季節、天気のいい日であれば遠く江戸からでもその雄大な姿を
望むことが出来、古来からこの国に住む全ての者の心を
射止(いと)めてきた。


 厳密には
甲斐(かい)の国に跨る休火山であり、有名な富士五湖や樹海も甲斐
の国側に分布しており駿河には裾野が少ししか被っていない。


 それでも景色としての富士山を眺められるのは駿河であり、特に海と富士
山を見渡せる
伊豆(いず)の国からの海岸線は、絶好の景観を演出してくれて
いる。




 「人の目ってものがあるんですから、あまりはしゃがないでください」




 「人の目ってなにさ! あたいの
御目目(お め め)だって人の目だよ! 感動
したもの、綺麗なものに心動かされてなにがわるいのさ!?」




 「そ、それは……心は動かされてもいいですけど、態度に示すのは、場所
を考えた方がいいんじゃないですか、という話です!」




 「人の目だとか場所だとか、辺り構わず団子食ってるお武家様には言われ
たくないね!」




 「ぐ……っ!」




 どうやら、今回は桃太郎の負けのようである。現に今も団子の
(くし)を抓
んでいるのだから反論のしようがなかった。


 おこまの機嫌は、しばらく前からあまりよろしくない。


 原因は、三島を過ぎ、
沼津(ぬまづ)宿で旅宿をとったときのことを引き摺っ
ているからであろう。



 桃太郎が、始めから一緒の部屋はとらないといってあった、と何度いって
も聞く耳持たず、さっさと
不貞寝(ふ て ね)を決め込んでしまっていたから始末
に負えない。


 それで、富士山が見えたことで持ち直したテンションを、桃太郎は思いが
けず潰してしまった。


 仕事のときは姉女郎を盛り立て、客にも愛想を
()()ける桃太郎な
のだが、おこまの前ではどうにも勝手が違ってしまうのだ。その愛想が原因
で、
(くるわ)では太鼓持ちだのと罵られてきたはずなのに、おこまに対しては
悔しいほどに一切出てこなかった。



 桃太郎がちょうど団子をひとつ呑み込み、ふと眼をやると、一匹の山猿が、

(しげ)
みから顔を覗かせているのが見えた。


 桃太郎は基本動物が好きだ。人間の前身といわれる猿も、その類にもれず
である。




 「おこまさん、あれ! あそこに猿がいますよ!」




 「へー。そう。別に猿ごとき珍しくも――」




 「あ! で、出てきた! 出てきましたよ、おこまさん!」




 最初、おこまの気を引こうと
(ゆび)()した桃太郎は、猿に興奮するあま
り当初の目的を失念。


 しらけるおこまを
他所(よそ)に、ぴょんぴょんと飛び跳ねている。




 「お武家様……ぜんぜん、人のこといえない」




 そういや、人には見えない「犬神」の霊を相手に、夢中になってたことも
あったっけ。


 団子の前にそっちを指摘するべきだった、と後悔あとに立たず。おこまは
自分もこんな感じだったのかと思うと、少々複雑な気分で
(かぶり)をふった。



 猿は人になれているのか、どこか困ったようにみえる表情が微笑ましか
った。


 はしゃぐ桃太郎へと寄って来ると、陣羽織の隙間から腕を滑り込ませ、流
れる動きで胸に手を置く。



 ………………………………。



 「?」



 「反省」のポーズであれば、手は相手の膝に置かれるはずである。



 一連の動作があまりにも自然で、成熟途中なれど吉原の御女郎であるにも

(かかわ)
らず、桃太郎は猿による猥褻(わいせつ)な行為を許してしまっていた。


 笑顔のまま凍りついた表情が、猿の指先の動きで瞬時に解凍される。




 「よしなんしっ!」




 桃太郎が振るった平手は手にした団子の皿ごと猿の顔面を襲うが、猿は寸ででそれを躱した。


 そこへ、示し合わせたかのように現われた二匹の猿は、飛び上がった団子
を見事に空中てキャッチし、三匹の猿は皿に乗っていた団子ふた串と、桃太
郎が食べかけていた団子ひと串を仲良く一本づつ手に持って、茂みの奥へと
走り去っていったのである。




 「――
不覚(ふかく)っ!!」




 「ええ!?」




 桃太郎は
茫然(ぼうぜん)自失(じしつ)から地面へと突っ伏すと、治りかけの皸がま
た開いてしまうのではないかという勢いで、握り
(こぶし)を叩きつけた。




 「お、お武家様ぁ……」




 「こ、この桃太郎……猿公ごときに身体を弄ばれたあげく、よもやそれが
団子を奪うためだったなんて……もはや生き恥!」




 「そ、そんな大袈裟なぁ」




 
(きょう)(きょう)として(わな)()く桃太郎は、すぐ(そば)で手をぱたぱた
させるおこまの声も耳に届かず、その手を腰の太刀にかけた。




 「腹を斬って死にまする! 止めてくれるな!」




 「きゃあああああああああっ!?」




 ぎらりと『色斬』を抜き放ち、逆手で持って自分の腹部へ切っ先を突きつ
ける桃太郎。


 この時代、自害、とくに自らの刀で腹を切り裂く死に様を「
切腹(せっぷく)
といい、帯刀を許されている武士が
(はずかし)めを受けた場合、「切腹」はそ
のまま生き永らえるよりも法のお
(さば)きを待つことなく(いさぎよ)し、むし
ろ美徳とされている部分があった。


 しかし、桃太郎は武士ではなく、これは廓での
幇間(ほうかん)(座敷で芸を披
露する男性芸人)が見せる演目芸の見過ぎである。


 こんな大声で自害を宣言すれば止めに入る人がいて当たり前であり、桃太
郎のちいさな身体は、いまやおこまの悲鳴を聞きつけて集まってきた道中の
男に
()()()めにされ、『色斬』も取り上げられてしまっていた。




 「はやまっちゃいけねぇ、ってお武家様!」




 「お武家様落ち着こう! ね!」




 「ええい! 放せ! 放せぇい! 死なせて! 邪魔するなぁあ……!?」




 そんな、
長閑(のどか)な昼下がりのひと幕であった。