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          二話 -


 ざわり震動が、
(たむろ)していた男達の端から端まで(さざなみ)
ように広まってゆく。




 「……っ!?」




 苦悶の表情を浮かべ、最初に声を上げた眉のない男が、雪のない地面に顔を埋めた。


 この男の運が尽きたのは、おこまの隣に立つ若い侍に「おうあんちゃん、
手前(てめえ)はおこまのなんやねん」と声をかけた所為だ。




 「――なんで突然関西弁なのさ!」




 「え、そこ!?」




 ***!!



 思わず、首の痛みも忘れて突っ込みを入れてしまった桃太郎。


 声にならない呻きと共に、男につづいて崩れ落つ。




 「ち、ちょっと待ってください、
(あね)さん! あっし等は
別に――っ!?」




 集団から踏み出し、倒れた仲間に駆け寄ろうとした男の運命も
そこで終わる。おこまの
(かかと)が男の(あご)先を左から右へと薙
ぎ払った。




 「誰があんたの姉さんだ!」




 おこまがこの場に現われて僅か数分。すでに三人の若い男がそ
の足下に横たわっていた。


 再びの動揺が波のように広まってゆく。


 おこまは桃太郎を巻き込まないようにと、臆せず進み出、ざっ
と仁王立ちになる。が、桃太郎もまた、おこまの威圧感を演出す
る背景の一部であったことには変わりがない。




 「や、やべぇ……逆鱗がどこにあるかまるでわからねぇ」




 「味方まで容赦なしかよ……なんて女だ……」




 感想を口々に囁きあう男達も、おこまのひと睨みで次々に

()(すく)
んでゆく。


 周囲は割と早い段階で静寂に包まれた。ぱちぱちと、松明の時
()ぜる音だけが聞こえる。




 「来ているんだろ、出てきなよ巽!」




 ようやっと桃太郎が気力を持ち直し、顔を上げると、

(ごう)(ぜん)
と並み居る男達を俯瞰(ふかん)するかのようなおこま
が、頼もしい背中を見せつけていた。


 そうはいっても今の首の痛みはおこまに引っ掛けられた感が
強い。


 なんとなく憮然としたものを抱えながら視線を集団の方へと移
動した。




 「
(わか)(がしら)、こちらです!」




 しんと静まり返った集団の、奥の方からざわつきが徐々に近づ
いてきていた。桃太郎、おこまが見詰める中、先頭の
男衆(おとこし)
が道を譲ると、そこには、渋い藍染の羽織を着用し、見目整った
美青年が立っていた。




 「おやまぁ」




 細身ですっと通った鼻筋、薄い唇、きりっとした眉。


 切れ長の目つきは少し
強面(こわもて)だが、そこがまた男らしくて、
隠していた乙女心を
(くすぐ)られてしまう。桃太郎は正直に声を漏
らしていた。


 
(まげ)は結っておらずザンバラなのだが、短く毛先を切り揃え
られた髪型は、不思議と不潔な印象を持たなかった。



 
(しょ)大名(だいみょう)の自治に従うを良しとせず、独自に結成され
た青年団である「
黄槇組(きまきぐみ)」の二代目若頭・槇原(まきはら)(たつみ)
 なるほど。桃太郎に出会う前、おこまが声をかけたというのも
頷ける。




 「巽! あんた、こりゃいったいどういうつもりだい!?」




 ――っておこまさん、呼び付け!?



 桃太郎は
(どう)(じゃく)した。


 仮にも自分から声をかけ、お客になりかけた相手である。職業
が真っ当ではないからと逃げ出し、さらには名前を呼び付け。


 おこまの度胸に感服してしまう――が、どうにもそれは、おか
しすぎるのではないだろうか。


 たとえばおこまは、名前を名乗っているにも関わらず、桃太郎
のことを「お武家様」と呼ぶ。では、声はかけたものの、実際に
は身体を預けてもいない男のことを、名前で呼んだりするだろう
か。逆に、他人行儀になるところではないか?


 これではまるで、古くからの知人のようではないか。




 「ようおこま、捜したぜ。見ろよこの顔ぶれ。笑えるだろ? 
全部おまえを迎えにくるために用意したんだぜ」




 しゃべると地が垣間見える。どんなに整った顔立ちをしていて
も、無法のゴロツキ達を束ねる立場に立つ男、で間違いないよう
だ。




 「まったくだね。女一人を迎えにくるのに、どんだけの野暮だ
い。情けなくて泣けてくるね!」




 「まぁ、そういうなよ、おこま。おまえはそれだけの女だって
ことじゃねぇか。それで、どーする? 自慢の腕っ節で、ここに
いる全員を相手にするかい? それとも、またいつもみたいに逃
げ出すかい?」




 いつもみたいに? 迎えって……



 桃太郎はおこまと巽の只ならぬ会話に耳を傾けつつ、話の流れ
から、このあとの展開を予想し、背筋を冷やした。


 つまり、巽という男がここに来た目的とは――おこまの決める
であろう判断とは――




 「あんた……村の
(モン)には手を出しちゃいないだろうね?」




 おこまは背を向けたままなので、その表情は分からない。けれ
ど言葉に詰まった一瞬、少しだけ、
(うな)()れたような気がし
た。




 「おいおい、黄槇組は
堅気(かたぎ)に手を出すほど落魄(おちぶ)れち
ゃいねぇよ。でも、おまえの連れには、どういう女に関わったか
って、身の程くらいは教えてやらねぇとな」




 そういって巽の鋭い視線がおこまから、後ろの桃太郎へとすっ
とずれた。


 刹那。おこまの手が伸び、巽の首を鷲掴みにする。




 「――巽。あんた、死にたいのかい?」




 おこまの表情は、やはり桃太郎には見えなかった。


 口ぶりは、溜息交じりであり、これまでとさほど変わらない気
がした。


 しかし、恐怖に目を
()く巽の崩れた顔を目の当たりにしてし
まい、桃太郎は「犬神」のそれとは違うけど、これもまた憐れだ
と感じた。


 桃太郎はそこで確信する。この二人はやはり、並々ならぬ関係
であると。



 巽の視線が、強制的に桃太郎からおこまへと戻される。




 「じ、冗談だよ、おこま。たとえ侍でも、手なんかださねぇ
よ……」




 震える声と巽の恐怖を納得したのか、おこまは首を掴んでいた
手を引いた。そこで、わずかばかり残っていたのか、巽は若頭と
しての意地をみせる。




 「……まぁ。全てはおまえ次第だけどな――おっと!」




 両手で降参を示す巽。


 おこまに睨まれでもしたのだろう。


 そして、黄槇組の
男衆(おとこし)(こう)(こう)と掲げる松明の明か
りの中、桃太郎は背中からでも分かった。


 おこまは確かに頷いた。




 「――そ、そうだよな。ここまでの組員を動かしたんだ。ちっ
たあ俺の顔も立ててくれるよな! おう野郎共、
()ぇるぜ!」




 即決即断、行動も迅速で統一されている。ある意味気持ちがい
いくらいだが、桃太郎はそんなところに目を向けている場合では
なかった。


 巽の号令を受け、おこまが気絶させた二人も担ぎ上げられ、ぞ
ろぞろと引き返してゆく黄槇組の男衆。


 桃太郎に背を向けたままのおこまは、変わらずそこに立ち尽く
していた。おこまが動き出すのを待っているのか、巽もその傍に
いる。




 「そう――」




 おこまは軽く夜空を仰ぐようにする。深く吐き出された息が、
白く中空に消える。
一時(いっとき)を待つようにしてから、おこまは
振り返った。


 桃太郎には、彼女の
()(ぐさ)が涙を(こら)えているようにし
かみえなかった。




 「巧くはいかないってさ。御免ね、お武家様。一緒に行けなく
なっちゃった――」




 「――おこまさん!?」




 けれど、駄目だった。無理矢理に押し込めたかに思えた涙は、
別れの言葉も最後まで口にさせず、おこまの頬を、止まることが
ないのではないかと心配になるほど流れて落ちた。




 「ちょっと待ってください!」




 おこまは歩き出していた。再度桃太郎へ向けた背中に、さっき
までの威勢などは
(つゆ)もなく、悄然と(しお)れ、幽鬼の如しで
あった。


 桃太郎は声をあげ、駆け寄った。それは、おこまを連れるよう
に歩く、巽へと向かって。




 「あの! ど、どうしておこまさんを連れて行かなきゃならな
いんですか!? おこまさん、こんなに嫌がって――!?」




 卒然、桃太郎は腹部に衝撃を受け、雪の街道を転がっていた。




 「巽ぃっ!!」




 「おいおい! 今のはこいつが先に突っかかって来たんだろ!?」




 桃太郎は唖然とし、雪解けの泥に
(まみ)れた身体を立て直す。
どうやら、今のは巽に腹部を蹴り飛ばされたようだ、と理解する。




 「それに! おまえは嫌がってなんかいねぇよな! なぁおこ
ま!?」




 おなかが痛い。生理の日のズキズキする痛みとは違う、ひり付
くような熱い痛さだ。


 首も痛い。転がされたときまた、無理に動かしてしまったよう
だ。


 両手の
(あかぎれ)は、痛いのか冷たいのかも判らないくらいだ。


 総じて全身が痛みに悲鳴を上げているような気分になって、吐
き気がする。




 「!? お、お武家様ぁ! 御免ね! 御免ね!」




 「おら。あんまり面倒かけさせんなよ!」




 吐き気は、転じて嫌悪感を呼んでくる。嫌悪感は心で苛立ちと
なり、苛立ちは冷静な判断を奪い去った。判断力を欠いた脳は、
単純な行動に身体を駆り立てる。



 桃太郎にとって、もっとも単純で、おこまを助けられる高確率
な手段とは――


 このまま、何事も起きなければ、一体どうなっていただろうか。


 桃太郎の怒りはおこまの腕を引き摺る巽へと向かい、その手は
『色斬』の柄を握り締めていた。




 「ちょっと待てってぇ――っ!」




 「チョット、マッテクダサーイ!」




 「はあっ!?」




 あまりといえばあまりのタイミング、あまりの物言いに、桃太
郎は怒りを剥き出しにして声の主を睨みつけた。それはもう、巽
の前に、血祭りにあげてやろうかの勢いで。



 相手を目にした動転が、カッと血の上っていた頭を急激に覚ま
してくれた。


 男は異国の風貌をしていた。髪も髭も、色は輝くような金色で、
一応は髷のようなものが結わえてはある。


 顔の造形は彫が深く、陰影はっきりとした目鼻立ちが、舞台に
使う能面のような印象を与えていた。


 年齢は、正確なところは判断できないが少なくとも若くはない。

股立
(ももだち)
を取った丁稚(でっち)のような着こなしが、まるで似合っ
ていなかった。


 それと、これは民族的特徴ではないのだろう肌の色が、鮮やか過ぎる黄色で、額からは、左右
(いびつ)な、二本の角が生えていた。



 ああ。また鬼だ――



 桃太郎は直感した。さっきから自分の心を
(せわ)しくしていた
ものはこれだったのだと。


 鬼が来ることが分かる能力。


 それが、鬼か人かを真っ先に見抜く能力。


 この力が『色斬』を手にしたことに依るのか、それとも絹月の
思念がそうさせるのかは知らないながら、あまり好ましい力では
ないと感じてしまう。




 「タツミサン、ボクヲオイテユカナイデクダサイ!」




 「……
鞍右洲(くらうす)?」




 立ち止まり、首をかしげる巽。


 
(くら)()()、と呼ばれた鬼は巽の前までよたよたとした足
を運び、膝に手をついて肩を上下させた。



 様子の異変に気がついた男衆も、立ち止まり、口々に鞍右洲
だ、鞍右洲が帰ってきたぞ、と
顕著(けんちょ)な動揺を示している。




 「鞍右洲、おまえ、いったいどうした……病は、善くなったの
か?」




 「タ、タツミサン、ボクヲ、モウオイテユカナイデクダ
サイ……」




 **!



 ばちん?


 鞍右洲が膝から手を離したとき、なにかが弾けたような音が
した。


 桃太郎は首をかしげ、必然的に、脳裏には蘿蔔の顔を思い浮か
べていた。蘿蔔の、般若のように歪んだ真っ赤な顔を。



 巽も、おこまも、男衆も、そのちいさな音に気がついた者はい
なそうであった。桃太郎以外の誰もが、鞍右洲がここに現われた
こと、それだけに頭が奪われている。




 「あ、ああ、悪かったな。鞍右洲。おまえの病が酷いと聞い
て、心配していたんだぜ」




 巽が、何気なく差し出した手を、鞍右洲はむんずと掴んだ。




 「タツミサン、アナタガ、ボクヲステテコイッテ、メイレイシ
タンデスヨ! ボクハ、ゼンブキイテイルンデスヨ!」




 ******!!



 何も起こりはしなかった。


 表面的には。


 声もなく、異常に身体を
海老(えび)()らせた巽が、鞍右洲の手
が離れると同時に崩れ落ちただけだった。


 ただ、桃太郎には見えていた。巽の手を握る瞬間、鞍右洲の身
体の黄色が、ぶわっと色味を増していたこと。


 人知を超えた鬼の力。桃太郎がそれを目にしたのはこれで二度
目となる。




 「わ、若頭ぁ!?」




 「く、鞍右洲! 手前ぇなにをしやがった!」




 この中に、状況を把握できている者が何人いるというか。そん
なことは関係ない。組のトップがやられ、黙って見ていることが
出来なかったのだ。


 どっと押し返して来る黄槇組の
(おとこ)()達、その数三十人
はいるだろうか。彼らと鞍右洲のつながりとは如何なものだった
のか。中にはすでに、短刀や刀を手にしている者もいた。




 「ミナサン……ドウセミナサンモ、ボクノコトヲ、サイショカ
ラウトマシクオモッテイタンデスヨ!」




 鞍右洲は悲鳴に近い声をあげ、迫る黄槇組の男衆へ、大雑把に
両腕を突き出した。


 全身の表皮を覆う黄色が発光する。けれどそれは闇を払う光で
はなく、黄色味が強まった内部発光だ。光は身体を移動し、両腕
へと集中する。そして――



 桃太郎は耳を塞いだ。



 *****************!!



 数万ボルトの放電。
(ほとばし)る光の帯が、はっきりとした流れ
を闇夜に刻む。


 帯が襲うのは刀や短刀といった鋼を持つ者から。それらを真っ
先に抜き放った者は、真っ先に帯の餌食となったのだ。


 たとえ手にはしていなくても、ある者は腰に、あの者は懐に、
忍ばせたり所持をしている者は、そこから流れてきた電流に身体
を貫かれていった。


 なので光の帯の直撃を受けた者はそういなかったはずだ。一回
の放電で倒れたのはせいぜい十人ちょっと。黄槇組の男衆はまだ
二十人近くが残っている。


 それでも、閃光が治まった静けさが耳に痛く響く闇夜、鞍右洲
へと向かってくる足音はひとつもなくなっていた。